売りにくい商品をコトバひとつでヒット作へと変えてしまう職業、それが「セールスコピーライター」。Web広告にあふれたデジタル時代のなかで「レスポンスアップの鬼」と呼ばれ成果を出し続けているのが、売れるコトバ作りの専門家・大橋一慶氏だ。自らのセールスコピーのノウハウを詰め込んだ書籍は、どれもロングセラーとなっている。
売れるコトバの作り方を余すことなく広め続けている彼が、なぜセールスコピーライターになったのか? 世の中にセールスコピーを広げる活動に力を入れている理由や、仕事をするうえで大切にしていることなどをインタビューで聞いた。
独立のキッカケになった楽器の先生からの言葉
――大橋さんがセールスコピーライターになろうとしたキッカケを教えてください。
大橋:そもそも、独立をしたのは音楽をやりたかったからなんですよ。大学時代、北インド古典音楽の「タブラ」という太鼓の楽器に出合い、現地人のプロの先生を見つけて教えてもらうほどハマっていました。
でも、社会人になった当時の仕事があまりにも忙しすぎて、音楽を続けられない状態になってしまったんです。タブラの先生に相談したら「まだ20代なんだから、その職場は辞めて独立しなさい」と言われて。次の日には、退職届を出していました(笑)。
――転職ではなく、独立だったんですね。
大橋:先生からすれば、ダブラなんてマニアックな楽器を本気でやっている時点で、僕のことを普通ではないと感じていたのかもしれません。だから、独立ぐらい大丈夫だと思ったんでしょうね(笑)。
――(笑)。でも、すぐに独立なんて……。
大橋:できるわけないんですよ。なので、早朝から昼までアルバイトをして、それから音楽活動をする日々を送っていました。同時に副業として、ライターなどのWeb関係の仕事を中心に、さまざまなことへチャレンジしていました。1年ほど経ったとき、副業で得た利益がアルバイトの収入を超えたので、独立を決意しました。
――独立時点では、セールスコピーライターではありませんよね?
大橋:はい、初めは前職で経験のあった広告代理店として独立しました。でも、営業まわりをしていたときに、コピーを書ける人を探している企業が多いことに気づいたんです。なので、専門家でもなんでもないのに「コピーなら任せてください、プロです」と嘘をつきました(笑)。
その日の帰り道、コピーに関する本を大量に買って勉強しました。学んだノウハウを実践したら、結果が出たとの報告を受けて驚きました。報酬もしっかりもらえたので、これならセールスコピーライターとしてやっていけると思ったのが始まりです。
会社が潰れかけたのが3回、自分が死にかけたのが1回
――セールスコピーライターとして独立をして、とくに大変だったエピソードはありますか?
大橋:うちの会社、3回ぐらい潰れかけてるんですよね。
――えー! 3回ですか!?
大橋:1回目は、大口顧客からの発注がなくなってしまい、新しい顧客を開拓しなければと思い、当時作っていた営業用のセミナーDVDの広告を、FAXで各企業へ送りました。
そのなかで、一番反応が良かった業種に特化していこうと思っていたのですが、学習塾の反応が予想以上に良かったんですよね。DVDが飛ぶように売れ、チラシ作成依頼もどんどん舞い込んできて、ピンチを脱出しました。
――なぜ学習塾から問い合わせが殺到したのでしょうか?
大橋:大手のマネではない、新しい手法を提供できたからですね。ターゲットを1校だけ絞ってもらい、中間・期末テストのような熱量の高いタイミングで、専用の集中講座を500円で売る仕組みを作りました。この手法は、今でも200件以上の塾で採用され、生徒数の増加に貢献しています。
――2回目のピンチも聞いてよろしいでしょうか。
大橋:2回目は、過労で体が指先まで動かなくなったときですね。セールスコピー以外にもビジネスを広げようと思って、 コンサルを初めとして、いろいろな事業に手を出していた時期があったんです。そのときは、1年間で108人を無料コンサルするという無茶な目標を立て、大阪と東京の往復をする日々を送っていました。
しかし、ある日の朝、目が覚めたら、体がまったく動かなくなっていて驚きました。無理に動かそうとすると電気がビリビリと走り、そのまま入院となりました。
――それは大変でしたね……。
大橋:病院のベッドでは、このまま心臓も止まるかもしれないと思いながら、将来について考えていました。そのなかで「辞めることを決めよう」という考えに至ったんです。
回復後、取引しているところへ料金アップを提案し、受け入れてもらえた顧客とだけ仕事をすることにしました。その結果、生活できないレベルの収入になれば廃業しようと覚悟を決めて。結果的には、売り上げも増えたおかげで仕事を続けることができました。
――3回目の潰れかけた話も気になります。
大橋:3回目は、新型コロナウイルスの影響を受けたときですね。当時、付き合っていたクライアントは、学習塾をはじめとして、コロナ禍で仕事が止まってしまう業種ばかりでした。なので、3ヶ月連続で売り上げがほぼなくなってしまったんです。
さすがに今回こそ、もう終わりだと思いました。でも、当時発売したばかりの『ポチらせる文章術』(ぱる出版)の反響がとても良かったので、喜んでくれる読者のためにも、もうちょっと頑張ってみたいという気持ちが消えなかったんですよね。
――どのようにして、ピンチを乗り切ったのでしょうか?
大橋:借金と運です(笑)。知り合いの経営者から、今やるべきことは「金を借りること」だと言われ、思い切って1000万円を借りました。もし、この金額を食いつぶしてしまうようなら、本当に廃業しようと思ったんです。
そしたら半年後、途絶えていた仕事が全部戻ってきてくれました。さらに、ちょうどスタートしたオンラインサロンの運営も好調になったおかげで、現在もセールスコピーライターとして活動ができています。