ハリウッド映画やドラマの影響も大きいと思いますが、日本人にとってのアメリカ人のイメージとして「明るくフレンドリー」があると思います。X(旧Twitter)では「May_Roma」(めいろま)として、舌鋒鋭いポストで人気の谷本真由美氏によると、アメリカ人がフレンドリーなのには理由があり、話の内容も額面通りに受け取ってはいけないようです。

※本記事は、谷本真由美:著『世界のニュースを日本人は何も知らない4 -前代未聞の事態に揺らぐ価値観-』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

アメリカ人にとって雑談も笑顔も社交辞令

日本人は、アメリカ人は実にフレンドリーだと思い込んでおり、日本の英語の教科書にも、やたらとフレンドリーなアメリカ人が登場します。

英会話を習いにいく日本人は、英語を喋れるようになるには、アメリカ人のように毎日明るく楽しくフレンドリーにしなければならないと思っているようです。

一生懸命にアメリカ人風のジェスチャーを身につけ、見るからに根暗でオタクの人が「は~い、あなたは先週末は何をしたのかしら」などと白々しい会話を実に熱心に学ぶのですが、元来がねっとりと暗い日本人なので思いっきり浮いています。

さて、皆さんに教えておきたいのは、アメリカ人はそんなにフレンドリーではないということです。もちろん、アメリカ人は初対面の人にも気軽にあいさつをして、まるで長年の友人のように私生活の話をどんどんしまくり、「あなたの髪型はステキよね」などと、日本人だと親しい友人でもなかなか口に出せないことを言ってしまったりします。

矯正しまくった白い歯をちらりと見せて、レジでも子どもの送り迎えでも常にニコニコしています。ところが、いろいろ喋っているように見えても、アメリカ人の会話はかなり表面的です。間違っても、真剣に政治問題を語ったり、食材の調理方法について検討したことを話したり、家の遺産相続の揉め事とかを話したりしては絶対にいけません。

また「週末はジョギングしていたよ」「家族とバーベキューしていたよ」と“リア充”生活を送ったと答えるのが前提になっているので、正直に「一日中アニメを見ていた」「離婚訴訟の話をしていた」などと答えてはいけません。

アメリカ人がベラベラと雑談している中身は、あくまで差し障りのないどうでもいい事柄で、しゃべっている内容はどうでもよいのです。そしてニコニコしているからといって、相手が自分に対して好意的というわけではないのも要注意です。雑談も笑顔もあくまで社交辞令にすぎません。裏ではボロクソに言っていることがよくあります。

アメリカ式の「フレンドリー」は胡散臭い

アメリカという国は、社交辞令として常に明るく楽しく延々としゃべって、他人に対してはフレンドリーに振る舞わなければいけない、という同調圧力が強くきついところなのです。

なぜかというと、アメリカは開拓地であり、ヨーロッパからさまざまな人が渡ってきて、もともと住んでいたネイティブアメリカンを殴りつけてつくった国であり、周囲は敵だらけです。アメリカに流れてくる人間は貧民とか犯罪者、宗教的過激派、船乗り、海賊など胡散臭いが多く、周りの人間がどういう人かわからないのです。

だから、なるべくフレンドリーに振る舞って「自分は隠し事をしていない」という感じで、当たり障りのない内容を“自己開示”という意味で、どんどん話すことで「私は危ない人間ではありません」とアピールすることが、サバイバルのスキルになったのです。

▲アメリカ式の「フレンドリー」は胡散臭い イメージ:Koldunova / PIXTA

つまり、この「フレンドリー」というのはアメリカ独自のものなので、アメリカでアメリカの方式を身につけた人が、ヨーロッパに渡って同じようにコミュニケーションをすると「こいつは頭がおかしい」「胡散臭い」と疑いの目を向けられてしまいます。

ヨーロッパの人々は、アメリカの歴史を熟知していて、アメリカ人がいくらフレンドリーになっても、それは本当の意味での「フレンドリー」ではないということもよくご存じなので、最初から彼らをまったく信用していません。

なので、アメリカ人に「あなたはビューティフル」「あらステキなネクタイね」「素晴らしい仕事をしたね!」と言われても、それはあくまで社交辞令で、マイナス150点ぐらいに割り引いておきましょう。

日本人はいくら頑張ってもアメリカ人にはなれません。寡黙でミステリアスな東洋人とのイメージを貫き通し、コミュ障として生きるのも面倒くさくなくてよいでしょう。