「心の病気」というネーミングに問題がある

一般論になりますが、人が自殺を考えたり計画したり、実行に至る直前の時期は、たしかに心の状態が健やかではないことが多いものです。医療機関を受診した場合、心の病気の診断名が付くことも多いことでしょう。

ただし、そのような心の状態は一時的なものであることがほとんどです。適切な治療で治せる病気のひとつに過ぎません。それなのに自殺者の心について、まるで「生まれつきの欠陥」でもあったかのように、「気が弱い」「精神力が弱い」と表現するのは正しくありません。

なぜ、そのように自殺者について正しく認識されないのか。それは、長年使われてきた「心の病気」(心の病)という呼称に、問題があるような気がします。

「心の病気」というと、どうしても「本人の頑張りが足りないから罹る」「本人の心が弱いから罹る」というような、精神論寄りのイメージが付きまとうのです。

いわゆる「心の病気」を専門的に説明すると、「脳内で器質的・機能的なトラブルが起こっている」と表現することができます。たとえば「脳内物質の放出量のバランスが崩れている」などという状態です。

たとえて言うと、心筋梗塞や脳卒中などが起こるメカニズムと大差はないと考えてください。これは経験者しかわかりにくいことかもしれませんが、強過ぎるストレスなどで、脳内物質の放出量が変わったり、バランスが崩れたとします。その影響で、「職場に行きたくない」「今までやっていたことに興味が持てない」「何もやる気がしない」という変化が心の中で起こることもあるのです。

さらには「からだに力が入らない」「倦怠感が強く動けない」などと、からだの他の部位にも影響が出ることがあります。これらのメカニズムが、本人の「意志の強さ」「精神力」などとはほぼ無関係であることは、おわかりいただけることでしょう。

必要なのは脳の機能を「正常化」させること

脳内物質のバランスがおかしくなっているのですから、そこでいくら本人が「頑張りたい」「からだを動かして行動的になりたい」と心で願ったとしても、それは「筋違い」な話で、不可能に近いのです。からだの各部分は、司令塔である脳の指示通りにしか動けないから、脳の機能を正常化させることが必要です。

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つまり心をいくら鍛えても、脳の機能を正常化させることは難しいのです。そこで、精神科などでの治療が必要になります。

心の病気のオーソドックスな治療法は、「二本柱」で行うことになっています。

ひとつは、投薬によって脳内物質のバランスを正常化させること。もうひとつは、カウンセリングによって、患者さんの状態を把握し、よりよい環境で過ごせるように問題点や改善点をともに探ったり、助言をしていくことです。

心の病気を、治療もせずに放っておいても、治ることはありません。脳内物質のバランスが、ひとりでに回復することは極めてレアなケースだからです。しかし、治療の意義を軽く見て放置することにより、心の病気が重篤化したり、時には自殺という悲劇に至ることがあります。

繰り返しますが、心の病気になったとしても、それは心や精神の強さや弱さなどとは一切関係はないのです

脳を悪い方向へ「活性化」させない

現代では研究が進み、「脳は本質的に柔軟で変化することもある」とわかっています。それは幼少時に限らず、大人になってからもです。どのように変化をしていくのかというと「環境によって変えられていく」と言ったほうが正しいかもしれません。

例えば、Aさんのデスクの近くに、よく小言や叱責の言葉をかけてくる上司がいるとしましょう。その上司と長期間過ごすうちに、Aさんの脳の一部分である「扁桃体」(amygdala)を中心に「活性化」が進んでいくようになります。「活性化」と言っても記憶力や発想力が高まるなど、良い方向への変化であればよいのですが、決してそうではありません。

ここでの「活性化」とは、「上司の言動に極度に反応しやすい脳になる」ということです。平たく言えば、上司の言動に過剰にからだが反応したり、上司の機嫌や様子をうかがってばかりいるようになるということです。

その状態は、PTSDに非常に近い状態です。その場合、上司から一刻も早く離れることが理想です。それが難しければカウンセリングでストレス耐性を少しでも高めたり、投薬によって扁桃体を正常化させる治療が、快復への早道となります。

これはほんの一例ですが、脳はこのようにストレスによって器質的な変化を起してしまいます。人は、どれだけ能力に恵まれ、やる気に満ちていたとしても、置かれた環境や人間関係次第で大きく変わってしまうこともあるのです。

ただし、それは適切な治療によって快復する可能性は十分にあります。このような正しい知識を、働く人も、事業者側もぜひ知っておいてください。