YouTubeでの動画投稿を始めて1年で登録者数9万人を越えたOL毒女ちゃんは、外資の大手企業に勤務する傍らYouTuberとして活動している。平日はいわゆるバリキャリ女子の彼女が動画で見せる「飾らない等身大の素顔」が人気のチャンネルだ。そんなOL毒女ちゃんこと、東堂かおりさんにニュースクランチがインタビューで迫ります!

就職活動で人生初の挫折を味わいました

――まず東堂さんの幼少期について聞かせてください。動画ではすごくハイテンションですが、幼い頃はどんな性格でしたか?

東堂かおり(以下、東堂) よろしくお願いします。動画ではあんな感じなんですけど、幼少期は大人しくて、人見知りが激しかったです。お遊戯会でも、お母さんがいないと舞台に上がれないような子でした。だから、親も変化に驚いています(笑)。

小中学生になって、習い事を始めたんです。例えばタップダンスとか。披露会みたいなもので舞台に上がるという経験が何回かあったんです。そういったことを経て、少しずつ人見知りしなくなっていきました。

――動画を拝見していると、ワードセンスが抜群だなと感じました。学生の頃から口数は多いタイプでしたか?

東堂 本当ですか!? 自分ではあまり意識していなかったですけど……でも、うれしいです! 学生時代はそんなことなかったので、磨かれたとしたら社会人になってからですね。営業職というのも大きいのかもしれません。

――営業先でさまざまな人と出会い、良いところを取り入れていかれたんですね。現在は外資系OLとして働きながらYouTubeで動画投稿をされていますが、幼い頃の夢はなんでしたか?

東堂 ちょっと恥ずかしいんですけど……「お金持ちの旦那さんを捕まえるお嫁さん」でしたね(笑)。

――ずいぶんと現実的な夢だったんですね(笑)。

東堂 はい(笑)。ずっとそうだった気がします。職業的なことはあまり考えたことがなくて、男性に大事にされるお嫁さんです。

――大学卒業後、1カ月間無職だったとお聞きしました。どういった経緯でその状況になってしまったんですか?

東堂 やりたいことなかったからですね。大学を卒業して、自分が何者かもわからなかったんですけど、プライドは高くて……(苦笑)。

父が大手メーカー勤務だったんです。母からは“大手メーカーは福利厚生がいい”ということをずっと聞かされていて。そして、それ(福利厚生がいい)が当たり前の家庭で育ったんですね。なので正直、漠然とではありますが“おそらく、私は大手の会社に入るんだろう”と思っていました。

――そう思っていたけど、タイミングなどが合わず就職先が見つからなかった…?

東堂 そうですね、自分が行きたいと思っていた会社には受からずでした。いま思うと、人生で最初の挫折が就職活動でしたね。それまでは、うまくいかなかった、ダメだったことって、あんまりなくて。

基本的に、勉強はちゃんとやればある程度はできて、習い事のバレエも1人で踊るポジションをいただけたり、ピアノもしっかり弾けているという評価をいただいて。それまでの人生は結構うまくいってたと思うんです。

それが、大学生になって「就職活動」という自分でしか道を開くことができない場所に立ったときに、全部ダメになって……。「あれ、なんで私は大手企業にいけないんだろう?」という感覚に陥っていました。

▲人生初の挫折は就職活動だった

――そうだったんですね。動画では「根性」という言葉をよく耳にします。この根性というのは、就活での挫折だったり、親御さんからの教えで身についたものですか?

東堂 習い事が大きいかもしれないです。小学生からたくさんの習い事をやらせてもらって。友達と遊ぶ時間がないくらい忙しい人生を送っていたんです。

そこから高校生になるタイミングで「バレエ」と「ピアノ」の2つに絞ったんです。さっきもお話した通り、ありがたいことにバレエは1人で踊るポジションをもらえたりしたんですけど、始めた当初はすごく苦手だったんです。

でも、苦手でも「やめる」という選択肢はなかったんです。「義務」としてバレエをやっていたので。小学生だったから、やめる以外のことを考えることもなかったんです。

あとは、中高は部活動でダンス部に入部しまして。ダンスといってもクラシックバレエに近いダンスだったんですけど。そこの上下関係がすごく厳しかったんです。先輩からの理不尽な𠮟りとか……。いま振り返るとなんですけど、そういったことが自分の人生の基盤になっていますね。