4月初めに中東のシリアにあるイランの大使館が、イスラエルによる攻撃を受けて中東地域の緊張がさらに高まっている。その渦中にあるシリアは独裁政権を敷いているが、2000年代以降、中東各地の独裁政権は次々と打倒されていったが、シリアのアサド政権だけは倒れなかった。それは先代のハフェズ大統領が築き上げた秘密警察機構があったからだと軍事ジャーナリスト・黒井文太郎氏は語る。

※本記事は、『工作・謀略の国際政治 -世界の情報機関とインテリジェンス戦-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

前大統領が築いた国民監視・弾圧のための秘密警察

冷戦期からパレスチナ・ゲリラ各派を庇護()し、時に利用してきた中東各地の独裁政権も、2000年代以降、次々に打倒された。イラクのサダム・フセイン政権は、2003年に米軍によって倒されたが、フセイン政権崩壊そのものは、それまで過酷な弾圧下にいたイラク国民に歓迎された。

リビアのカダフィ政権は2011年、「アラブの春」の流れのなかでリビア国民に打倒された。しかし、シリアのアサド政権は倒れなかった。

現在のバシャール・アサド大統領の父、先代のハフェズ・アサド前大統領が長年かけて築いてきた国民監視・弾圧のための強力な秘密警察機構があったからだ。息子の現大統領は、亡父のそうした遺産によって独裁体制を維持できている。

▲シリア・アレッポ(2006) 写真:Taka / PIXTA

シリアの秘密警察による恐怖支配は、中東アラブ圏でも突出して強固だ。シリアの治安機関・秘密警察は、大きく分けると「総合情報局」(ムハバラート)と「内務省」の2系統がある。ムハバラートは大統領直属の強大な秘密警察で、シリアでは裏の権力をいちばん握っている。

ムハバラートの下には、いくつも秘密警察セクションが設置されている。「軍事情報部」「空軍情報部」「政治治安局」「秘密事務局」「内務治安部」「政府治安局」「民族治安局」「情報部」「海外情報局」「捜査部」「パレスチナ部」「対テロ部」「212部」「911部」「215部隊」など、その数はきわめて多い。

このうち、とくに軍事諜報機関兼軍内秘密警察である「軍事情報部」、公安政治警察の「政治治安局」、独立系の秘密警察兼諜報機関である「空軍情報部」は、組織上はムハバラートの系列となっているが、実際にはその指揮下にはなく、それぞれ独自の指揮系統を持っていて、大統領に直結し、互いに忠誠を競い合っている。

ちなみに、なぜ空軍情報部がこんなポジションなのかというと、先代のハフェズ・アサド大統領がもともと空軍司令官出身で、最高権力に就いたあとも、腹心の空軍情報部に独自の諜報活動・公安活動の権限を与えたからだ。

なので、空軍の情報セクションでありながら実際は空軍司令官ではなく、大統領に直結している。空軍情報部はハフェズ政権時代からKGBと密接な関係があり、パレスチナ関係やテロ支援などの海外工作でも暗躍していた。現在は国内で反体制分子の密殺を主導しており、空軍情報部の管理する政治犯収容所に入ると「生きては出られない」と噂されている。

また、軍事情報部も独自の強力な権限を持っている。ここは軍・治安機関全体に睨みを利かせている。政治治安局は、さしずめ「武装した特高警察」といったところで、政府高官でさえ震え上がる公安警察の最上位になる。

他方、内務省系には一般の警察と、公安警察である「総合治安局」(通称「アムン」)がある。一般の警察も諸外国の警察のような組織ではなく、要は独裁体制のための公安警察そのもので、武装した治安部隊がある。

独裁政権の陣営が勢いを強める傾向にある

アムンは一般警察より上位の公安警察で、こちらも治安部隊がある。内部には「国家治安部」「海外治安部」「パレスチナ関連部」の3つの主セクションがあり、数々の秘密工作も担っている。

なお、ムハバラートとアムンで似たような名称の部局がいくつもあって、似たような任務を担当しているが、それも裏権力を分散させ、互いに牽制させることで独裁を守るための措置だ。ただし、大統領直属のムハバラートのほうが、内務省系のアムンよりもずっと格上になる。

民主化運動の初期、デモ隊を弾圧する中心になっていたのはアムンで、体制派民兵と一般警察部隊を現場で指揮した。体制派民兵の主力は「シャビーハ」(亡霊)と通称される親アサド政権の私服のゴロツキ集団だが、一般警察もデモ隊の弾圧に駆り出された。

他方、ムハバラート系の組織は、街角でデモ隊を蹴散らすというよりは、反体制分子を逮捕・拷問することが主な任務となる。国民も一般警察やアムンに逮捕されただけならまだいいほうで、ムハバラート系の秘密警察に逮捕された場合、それこそ生きては帰れなくなる。

民主化運動の初期に街角でデモ隊を弾圧・虐殺した主役は、シャビーハ・一般警察・アムンだったが、やがてアサド政権は軍を投入してデモ隊を虐殺するようになった。ただし、一般の軍はあまり信用されていないので、軍の後ろに大統領の弟が指揮する精鋭部隊が配置されることがよくあった。

共和国防衛隊と第4機甲師団である。彼らは一般の軍の部隊を背後から牽制する役目を負ったのだ。

こうした徹底した監視システムの下で、アサド独裁政権は生き残った。それでも2015年には反体制派に押し込まれ、一部支配地域のみに撤退する敗北宣言のような声明を発するまで追い詰められたが、イランの対外工作機関「コッズ部隊」が、レバノンやイラク、アフガニスタンなどから送り込んだ多数の親イラン派民兵部隊や、同じように引き込んだロシア軍の大規模空爆により、アサド政権は延命した。

その後、現在に至るまでアサド政権は前述した各秘密警察によって国民を監視・弾圧すると同時に、いまだ反体制派が押さえている北西部のイドリブ県とその周辺では、ロシア軍とともに一般住民を狙った空爆や爆撃を継続している。

▲トルコ・シリア地震 出典:Voice of America / Wikimedia Commons

2023年2月、トルコとシリアにかけて大地震が発生し、シリア北部に大きな被害が出た後でも、アサド政権軍は同地の一般住民を攻撃した。

同年10月にガザ紛争が起きて以降は、国際社会の注目がそちらに集中した間隙に、アサド政権とロシア軍はイドリブ県への攻撃を激化させ、連日の爆撃で多数の一般住民を殺戮し続けている。

2024年もガザやウクライナでは戦闘が止む気配はなく、国際社会では連携を強める独裁政権の陣営が勢いを強める傾向は止まらない。その悪影響として、世界のあちこちで国際社会のブレーキが利かずに、非道な政権による虐殺や弾圧が増えていくことになるだろう。