光の当たらない人にこそ語れる人生がある

ノンフィクション作品を形にするためには、途方もない時間と予算がかかる。多くの時間を注いでまで取材をしたいと思う人には、どのような共通点があるのだろうか。

「やはり、あまり知られていない人について書きたいという思いがあります。一人ひとりの人生って、本当に面白いんですよ。誰もが知る有名な選手の言葉を世に広めるのも意義のあることですが、僕がやらなくても誰かがやりますよ。

世の中の人の琴線に触れるのは、じつはその辺の道を歩いている愛しい他人だったりします。有名無名関係なく、そんな人生にスポットライトを当てるたくなるんですよね」

たしかに、村瀬の作品は、物語の影に隠れているような存在を描いたものばかりだ。誰もが見過ごしてしまうような小さな輝きを、文字通り時間をかけて丁寧に磨いている。そんな作品を世に出し続けている自身の“作家像”についても、俯瞰して教えてくれた。

「ノンフィクションの作法からは外れて、面白い方向に舵を取ってしまうところはあります。どうしてもテンポよく、クスッとなるような表現を組み込みたくなるんです。ノンフィクションの賞に出したときにも“面白いけど……”となりますが、それは今後の課題ですね。逆に言えば、今回の作品では、岸一郎の人柄やタイガースの歴史について飾らずに描けていると思います」

 

タイガースは、大阪タイガースを含めた約80年の歴史のなかでも、日本シリーズの優勝が2回しかない。実際に、岡田彰布監督による「アレ」発言が異常な盛り上がりを見せていたのは、まだまだ記憶に新しい。最後に、ここ10年の強くなったタイガースしか知らないファンに向けて、今作をどのように薦めたいかを聞いた。

「この作品は、“いま”につながっている物語なんです。2023年にタイガースが日本一になったときに、“まだ2回目なんだ?”と思った人はたくさんいるはずなんですよね。同時に、“こんな勝てないのに、なんで大阪ってタイガースファンまみれなの?”と疑問をもった人もいるはずです。

この本では、岸一郎の物語を軸にして、タイガースが大事にしているものは何か、こんなに勝てないのになぜ愛されているのか、その部分について描きました。歴史のなかでほとんど語られることのなかった岸一郎、彼についての本がここまで分厚くなった理由は、タイガースを愛する多くの人たちのおかげです。

これから読む人には、強いときのタイガースだけではなくて、弱いときのことも理解してもらい、歴史を辿りながら物語を“いま”につなげてほしいと思っています」

(取材:川上 良樹)


プロフィール
 
村瀬 秀信(むらせ・ひでのぶ)
1975年生まれ。ノンフィクション作家。神奈川県茅ケ崎市出身。県立茅ヶ崎西浜高校を卒業後、全国各地を放浪。2000年よりライターとしてスポーツ、カルチャー、食などをテーマに雑誌、ウェブで幅広く執筆。2017年から文春オンライン上で「文春野球コラムペナントレース」を主宰するほか、プロ野球関連イベントの司会・パネリストとしても出演多数。著書に『4522敗の記憶』(双葉社)、『止めたバットでツーベース』(双葉社)、『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』シリーズ(講談社)などがある。X(旧Twitter):@H_MURAN