今年の3月、愛子さまが大学卒業を報告するための伊勢神宮ご参拝で、奇跡的に晴れ間が見えたことがSNSなどでも話題となりました。稲作にまつわる神事が多い伊勢神宮ですが、その境内は、天照大御神がつかさどる太陽や雨、農村に携わる人々の知恵と神々の恵みによって、豊穣がもたらされるまでのストーリーで表現されているのです。

※本記事は、スタジオワーク:著『神社建築のスゴイひみつ図鑑』(ワニ・プラス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

農村の集落のような伊勢神宮

伊勢神宮の参道には、クスノキやカシワなどの樹々を押し分けるように、樹齢数百年の杉の木立が沿うように林立しています。

参道を歩くと、そこは不思議に明るく感じます。

紀伊半島では自然の力に任せれば、カシ・クス・ツバキ・シイなどの照葉樹林で、境内はうっそうとした森になるはずです。しかし、参道周辺の杉の木立は人の手で整備されたとみえ、明るく里山の趣があります。

中世、外宮(げくう)の御師(おんし)が全国の信者を伊勢に招くため、里山の風景に似せて杉を植え、「神宮の杉」と呼びました。今でいう自然公園の始まりです。

参道を一番奥まで進むと、古殿地があります。

私が訪れたのは平成10(1998)年頃で、言うまでもなく、遷宮以前には社殿が建っていた土地であり、次回の遷宮ではここに新社殿が建てられます。

古殿地は方形に整地された区画で、傍目には里山を切り開いてできた田畝のように見えます。それもあってか、隣接して新殿地に建つ萱(かや=茅。伊勢神宮では「萱」の字を使います)。ふき屋根の社殿は、農家の佇まいを感じさせます。

▲まるで農村の集落のような伊勢神宮 イメージ:かぜのたみ / PIXTA

そもそも、農家の屋根を萱でふけるのは、囲炉裏で火を焚いて萱をいぶることで、防虫効果や耐久性を高めるためです。窓もなく、炉もない社殿では、10年も経たないうちに湿気で萱は朽ちてしまいます。檜皮葺(ひわだぶき)の社殿が多いのは、それを避けるためなのです。

しかし、伊勢神宮は萱ぶきにこだわり、5年間をかけて良質の萱だけを厳選するとともに定期的にメンテナンスを行うことで、耐久性を担保しています。

杉木立に囲まれ、萱ぶき屋根が数軒並ぶ姿は、まさに集落そのもの。そばにある古殿地を田畝と見立てるのなら、里山の農村風景を模して造られたものだと推察しても、あながち誤ってはいないはずです。

鏡の語源は「蛇の眼」…鏡に宿る天照大御神の力

伊勢神宮の祭神は天照大御神であり、御神体は鏡です。祀られている鏡は丸いため、陽が昇ったときに鏡に反射した光は、まるで太陽が光を放っているかのように見えます。

天照大御神は、天を照らす太陽であるとともに、じつは水神でもあります。これを理解するヒントは御神体の鏡にあります。

鏡の「カガ」は、古語では「蛇」を意味する言葉であることはご存じでしょうか? 例えば、正月にお供えするお餅を「鏡餅」という理由は、丸餅を二段に重ねることで蛇がトグロを巻いた姿を表しているからです。

▲鏡の語源は「蛇の眼」…鏡に宿る天照大御神の力 イメージ:しゅう / PIXTA

そもそも「鏡」という言葉自体、蛇の眼、つまり「カガ眼」から来ているともいわれています。

古代人が、まばたきもせずにギラついた眼で、常に獲物を凝視しているかのような蛇の眼を畏れたように、常に輝き続ける鏡にも畏れを感じたことから「カガメ」と名付け、それが音韻変化して「カガミ」となったといいます。大小二つの餅を重ねた鏡餅を真上から見ると、確かに眼のように見えます。

古来、蛇は水辺に棲み、虹となって天に昇り、雷に姿を変えて雨を司る神になると考えられてきました。天照大御神も元をただせば、伊邪那岐命が黄泉の国から逃げ帰り、河瀬でミソギをしたとき生まれた水神アマテラスなのです。

太陽と雨は、稲作には欠かせない大切な要素。土壌を掘り起こしたり肥料を作ったりすることは人の力でできることですが、陽と雨だけは神の力に依らなければなりません。豊穣をもって国を守護するのが、天照大御神の宿命だといえるでしょう。