「テキヤ」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。お祭りや縁日での出店の光景や、フーテンの寅さん、あるいは「ヤクザ」というキーワードが出てくる方もいるかもしれない。その言葉は知っていても認識はマチマチだ。

そこで『テキヤの掟』(角川新書)を今年1月に上梓した社会学者の廣末登氏に、実際にどういう人たちなのか? などの疑問を答えていただいた。廣末氏は本書の執筆にあたり、テキヤ当事者たちにインタビューを重ね、また自身もアルバイトとしてテキヤで働いた過去を持つ。

▲社会学者の廣末登氏

テキヤとヤクザを同一視するのは間違い

「テキヤ」と検索すると、サジェストキーワードで必ず出てくるヤクザ。単刀直入に、この関連を聞いてみると…… 廣末氏の見解では、お互いは全く別物であるとのことだ。

テキヤは実体のある商売でしか儲けず、ヤクザにはつきものの違法薬物の影がちらつくこともない、何より祀神が違うという。

ただし、東京ではお互いがバッティングしてしまうことはある。

「東京などでは、テキヤの“庭場”がヤクザの“シマ”の内側にある場合があります。その場合、揉め事があってはいけませんから、やむを得ずテキヤがヤクザと付き合いをすることが歴史的にありました。ただし、いわゆるケツモチというような関係性ではありません」

また、テキヤ組織を源流とするテキヤ系暴力団もあるが……

「指定暴力団の極東会などは、戦後時間をかけてテキヤ組織が暴力団になっていきました。でも、こういった例は本当にごくごく一部、特殊な例です。まあ、由緒ある寺や神社にはそういった所(テキヤ系暴力団)はまず入れません」

これは全体から見るとごくわずかとのこと。とくに廣末氏の拠点である九州では、テキヤにヤクザの存在を感じることはないという。

テキヤの成り立ちについても簡単に触れたい。近代テキヤのルーツは戦後の闇市だという。食糧難の時代、東京湾で貝を拾ってきて鉄板で焼いて出す、というような原風景だったそうだ。現代のように物があふれていない時代、こういった露店こそが大衆の生活を支えていたのだ。

そこから戦後復興をするなかで、食べ物だけでなく洋服など売り物のバリエーションが広がっていく。しかし、街の復興に合わせて露店は姿を消していき、現在へと至る。

テキヤは超スモールビジネス

次にテキヤ仕事の実際を聞いた。アルバイトとして働いた経験では、売り場の組み立てなど力仕事の側面が強いようだ。

「私は売り台“サンズン”の組み立てだけでなく、“ヤチャ”と呼ばれる飲食スペースの小屋組みから手伝ったのですが、これが建築業と変わらないくらいの力仕事でした。組み立ては、すぐバラせるように紐で行うのですが、冬場は手がしびれてきて最後は口で縛っていましたね。作業だけで手があかぎれになりました」

先ほどから“ニワバ(庭場、テキヤの縄張り)”“サンズン(売台)”“ヤチャ(テントで組んだ茶店)”と耳慣れない言葉が多いが、テキヤの世界は専門用語がとても多い。このほかにも、この新書の巻末に用語集として網羅されているから、興味のある読者は参照いただきたい。

さて、実際どれだけ儲かるものなのか。

「売上としては、1つのサンズンあたり日に15万円くらいでした。これは1店あたりの売上なので、お店がたくさんあればその分だけ売上が増えます」

売上は店を出している経営者に入る。そこから人件費、食材費、場所代、電灯代などが引かれた金額が利益となるわけだ。

人件費に関しては、日給8,000円ほど。食材費は、業務用スーパーや契約業者から仕入れるというので一般的な飲食店と同じくらいだろう。場所代は地域差があるが、祭り期間を通して3万円ほど。電灯代は1灯あたり2,000円~3,000円とのことだった。

とてもスモールビジネスだ。テキヤ組織とは「中小零細企業」と例えるとわかりやすいだろうか。

また、出ていくお金にはもう一つあって、互助会費がある。これは会の活動を支えるために必要不可欠なもので「上納金とは違うものです」と強調する。

売り物についても尋ねてみた。テキヤが扱う商品はいろいろある。食べ物がメインだが、この本には元人形師のテキヤも登場しているし、酉の市では熊手もあつかう。その商品は各テキヤが自由に選べるのだろうか。

「そこは上の許可がいるようです。例えば大きく儲かる熊手は初心者ではやらせてもらえない。本書に登場する大和氏(仮名)の例でも、一番偉い親分からの声掛けがあってから熊手を始めています」

売る側の器量が大きくなるにつれて、売れるもののグレードも上がっていくようだ。

▲酉の市の縁起熊手 写真:CHAI / PIXTA