問題なのは「人を嫌いになる感情」をどうするか
社会に出ると、嫌いな人と一緒に仕事をしなくてはならないことだってもちろんあります。外部の方ならまだしも社内にその嫌いな人がいようものなら逃げ場なし! 逃げるは恥だが……なんてドラマも流行りましたが、
「私には恥をかく逃げ場すらないんですけど!」
みたいなね。そうしてイライラしてる自分が嫌になったりしちゃう……。この、「人を嫌いになる感情」って、どうしたらいいのでしょう?
……って、どうしたらいいのでしょう? と勢いづいてみたものの、私的には「人を嫌いになること」自体は決して悪いことではないと思うんですよね。問題なのはその感情の処理方法だと思うんです。
陰口悪口を吹聴して感情を処理したり、仕事に支障が出るような嫌がらせをして感情を処理したり、あぁえげつない。こうやって相手に危害を与えて自分の感情を処理するなんて、なんてえげつないのでしょう。
嫌いな人とは「礼儀」だけの人間関係で良い
病的に人を嫌う人というのは例外なく被害者意識が強いんです。
その被害者意識はどこから生じるのかといえば「人を嫌ってはいけない」という罪悪感からなんですよ。「人を嫌うことはいけないこと、でも自分は被害者だから仕方がないんだ」という言い訳ですね。つまり自分を正当化することに必死。危害を与えるような嫌い方をしている加害者なのに、本人だけは被害者のつもりなんですよ。
それって傍から見たらただのずるい人です。「人を嫌ってはいけない、人を嫌ってはいけない、人を嫌ってはいけない……」とブツブツ言っている間に、あなた自身がどんどん嫌われていくこと間違いなし。
そうならないためにも人を嫌うことを禁じないほうがいいです。人を嫌ってもいいし人から嫌われてもいいんです。それを自分で許せたとき、好き嫌いは人格の善し悪(あ)しではなくただの相性の善し悪しになるんですね。
嫌いなら嫌いなりの付き合い方というものがあります。そのために「礼儀」という道徳があるわけです。嫌いな人にまでわざわざ本音を言う必要はありませんし、ありのままのあなたを見せる必要はありません。礼儀だけで付き合っていればいいんです。もちろん無理して好きになる必要もありませんからね。
好きにならなければ人間関係が築けない人間性のほうがオトナとして失格だと思いますよ。