偉大な先輩たちから学んだこと
自分自身の芸能生活をここまで、いや、実際にここに書かれている3倍ぐらいの内容で、とうとうと語り続けてくれている。過剰なボケや直接話法的モノマネや自虐も存分に盛り込みつつ。まさに熟練のスタンダップコメディを見ているかのよう。
そこで、影響を受けた先輩について聞いてみたら、さまざまな先達の名が次から次へと出てきた。島田紳助さん、上岡龍太郎さん、徳光和夫さん……。
「紳助さんからは、自分を客観で評価し、先を見通す目と、24時間態勢で遊びながらも、仕事につなげる姿勢を見せてもらいました。
上岡さんには、自分の好き嫌いをテレビでもはっきり言って主張する姿と、時に驚くぐらい無邪気さを見せる可愛らしさを教えてもらいました。
徳光さんには、現場で相手と話して相手のことを理解する力と、ファンになって自分で相手のことを知るホスピタリティを学びました」
島田紳助さんとは、まだ彼がパネラーとして中山と並んで番組に出演していた頃に知り合い、飲みの席で“俺、将来はニュースやりたいねん”という告白を聞いたそう。その理由は「(明石家)さんまには勝てないから」。
「"紳助さんは面白いじゃないですか!”って僕が言ったら、“あいつには、俺にない華があるんや”って言うんです。“だからニュースを勉強しようと思ってる。たぶんそのとき、俺のライバルになるのは古舘伊知郎やで”って。
当時、古舘さんはたくさん司会をされてたけど、ニュースはやってなかったから全然ピンとこなくて。でも、紳助さんは報道番組のキャスターを実際にやったし、古舘さんはその後、報道ステーションの司会になった。先見の明に本当にビックリしました。
あと、紳助さんはあれだけ忙しくても“暇や〜”っていつも言ってて、仕事のあとにスーパーで魚を買ってきて、自宅でお寿司を握ってくれたり、集まってくる若手相手にゲームを考えたり……それが発展して『ヘキサゴン』とかになったりするんですよ」
上岡龍太郎さんは、中山が若かりし頃にこっそり開催していたロカビリーのライブに、よく顔を出してくれたという。
「上岡さん、あんなにコワモテで論理的なのに、ロカビリーには目がなくて。“お前は若いのに、プレスリーが好きなんやな。よおわかっとるなぁ”って、僕のライブでも踊ってくれました。その無邪気さが失礼ながら可愛くて。一方で、占いとかオカルトに対しては異常に厳しくて。テレビでちゃんと好き嫌いを打ち出していいんだなって教わりました」
歌謡番組の司会の口上は、徳光和夫さんに大きな影響を受けた。
「相手を知ったうえで、気持ちよく乗せるボキャブラリーとホスピタリティーを学びました。携帯を持たず、Wikipediaを読まず、現場で見て話して覚える、まさに人間辞書。しかも、いろんな方のコンサートに行かれるんですが、招待に頼らず、自分でチケット買われるんです。それで終演後に楽屋にも寄らない。慎ましいプロですよね」
なぜ中山は、さまざまなジャンルの先輩たちに可愛がられたのだろう。そう尋ねると、少し考え込んだ。
「むしろ、僕のほうが皆さんに興味があって、いろいろ聞きたかったんだと思いますよ。それに皆さんに遊んでいただきましたけど、そんなにべったりというわけではなく(笑)。なんとなく均等にお邪魔していたような感じですね」
テレビに出てる人にはテレビを諦めないでほしい
ただ、とりわけ可愛がってもらった人がいる。志村けんさんだ。
「僕はバカバカしいことを平気でやるし、ふざけるし、酒も宴会も好きだから……っていうのがあったからかな。志村さんに言われた“いつまでもバカでいろ”っていう言葉は、とても大切にしています。
僕がニュース番組をやるようになった時期だったんですが、“経験を積むといろいろ覚えていくじゃん? そうすると利口になって天狗になるんだよ。それは勘違いだから気をつけろよ。とにかく、俺たちは大したことがないんだってことをいつも覚えておけ”とおっしゃるんです。
続けて“俺だって、志村うしろー!って言われるけど、そんなことは知ってるんだよ”って(笑)。バカでいるというのは、その同じことを繰り返すことでもあるんだって教えてもらいました」
中山秀征は、そんな昭和の芸人・MCたちのさまざまな哲学や魅力のハイブリッドなのかもしれない。番組を仕切っているときの彼はとても楽しそうだが、そこには独自の哲学がある。
「どんな番組にも、絶対に変えちゃいけない前提というものがあります。でも、それ以外のところは変えていい。ただ、“変わった”ということを視聴者の皆さんに気づかれないことが大事。少しずつじわじわ変わっていって、たとえば3年とか5年で全然違う番組になっちゃってるのはいいんですよ。長寿番組ってそういうものだから。
ただ……出演者的には、演出が変わるのは要注意ですね。変わってすぐは、みんな自分の色を出したがるから。そこは“待て!”と言います(笑)。急にガラッと変えるより、やりたい要素をどうやってうまく今の流れに入れるか、それを考えようよって伝えます」
そうやって番組が少しずつ変わるなかで、中山が自分に課しているのは「自分も変わること」。じゃないと、変わっていく番組のなかで自分だけが置いていかれることになってしまうから。
そうやって変わり続けてきた。番組の構成やトレンドだけでなく、テレビのビジネスモデルもずいぶん変わってきたなかで、中山秀征が今後やってみたいこととは。
「テレビのあり方って、いま問われてますよね。YouTubeもあれば有料配信もいっぱいある。なんでもできる時代だし、そっちの方へ行きがちだったりもする。でも、テレビに出てる人にはテレビを諦めないでほしいんです。
僕はテレビが好きだから、絶対に“もうダメだ”とは言わない。テレビのなかで生きる僕としては、それを貫いていきたいと思います。そして思うのは、これからのテレビは“生放送と作りもの”が重要になるんじゃないかな。
『DAISUKI!』の時代の僕とは真逆ですけど、今こそ“作りもの”をやりたいです。歌とコントとトークの作り込んだ30分番組。これが僕が見てきたテレビの“キラキラ”の正体だと思う。きっとプロのエンターテイナーしかできないし、テレビにしかできないと思うんです。
僕、年1で昭和歌謡のライブをやってるんですが、それはいわばショーケース。さらにグッとショーアップしたプログラムを個人的に作って“僕がテレビでやりたいのはこういうことなんだよ!”って、皆さんに知っていただきたいですね」
(取材:武田 篤典)