凶悪犯ばかりの環境で助けてくれたボディビルの経験

カウンティ・ジェイルで数日拘束されたあと、空港裁判所を経て、アメリカで最も警備レベルが高い「スーパーマックス」刑務所に収監された山岸。そこではボディビルで鍛えた体が役に立った。

「最初、刑務所に入るときに、全裸にされてお尻の穴まで見られるんですけど、そのときに“すごい体してるヤツがいる”って話題になったみたいです。刑務所にはランクがあって、数字が大ききれば大きいほど危険な囚人ということになるんですが、自分は起訴された件数がすごく多かったので、かなりレベルの高い7番というところに入れられたんです。

見るからに危ないヤツばっかりで、“ここはヤバイ”と思いました。ここで生き延びる覚悟を一度は決めたんですけど、たまたま刑務官の一人が、ボディビルダーとしての自分のことを知ってたんです。

その人が、“こいつのこと知ってるから、そんな凶悪犯じゃない”と言って、レベルの低いところに移してくれたんです。ボディビルをやってたから刑務所に入ることになったんですけど、ボディビルのおかげで最悪の事態は免れました。あのまま7番に収監されてたら、どうなってたかわからない(笑)。

それから、カウンティジェイルでもそうだったんですが、刑務所に入ってる人たちは外見にすごく左右される。強そうなヤツならあまりちょっかいは出してこない。俺自身はトラブルに見舞われることなく穏やかに過ごせました。それはよかったなと思います」

ボディビルによって訪れた土壇場を、ボディビルによって救われた山岸。それでも、約60日間にも及んだジェイルでの生活。そこで山岸が身をもって体感したのはアメリカの「負」の側面だった。

「刑務所で初めて“人種”というものを意識しました。それまではアメリカに住んでいても、人種について意識することはなかった。刑務所では人種別に使えるトイレが決まってたりして、なんでも人種で分けられてるんだということを知りました。

それから、犯罪者ってめちゃくちゃ口がうまいんですよ。彼らと喋ってると、“なんでこんな良いヤツがジェイルに入ってるんだ?”って思うし、みんな無実なんじゃないかと思うくらいなんです。だけど、実際はすべて口だけ。彼らと相対してると、世間にはこういう口がうまいヤツがゴロゴロいるんだなとわかりました。それだけに騙される人がいるのもわかります」

▲刑務所に入ったからこその経験がたくさんあった

一度は引退するも…念願の『オリンピア』を獲得

そんな壮絶な経験を経て、プロボディビルダーとして競技に復帰。2016年には、かのアーノルド・シュワルツェネッガー主催の大会『アーノルド・クラシック』の212ポンドクラスで、この大会では日本人初となる優勝を成し遂げる。

2020年に自身10度目となる『ミスター・オリンピア』に出場。その後、初の自伝『筋トレは人生を変える哲学だ』(KADOKAWA)で競技からの引退を表明……したのだが、2023年に競技に復帰。40歳以上の世界一を決める大会『マスターズ・オリンピア』に出場した。

「じつは……あまり出る気はなかったんです。引退する前の最後の数年は本当にツラくて、肉体的にはもちろん、メンタルがキツくなっちゃいました。“もうやりたくない”って思いが強かったんですけど、私のパートナーであるFWJの庄司さんから“もう一度、全盛期の山岸さんを見たいな”と言われて。それに応えたいという気持ちになったんです。

それでも、まだ踏ん切りがつかなくて迷ってたんですが、大会に出るための準備を始めてみたんです。そうしたら、長年のトレーニングと栄養摂取が日常のライフスタイルになっていたので、昔みたいに気張って準備しなくても、半分準備できてる状態に体がなってたんですね。この状態だったらと思ったので、出ることを決めました。体が先にあって気持ちが固まりましたね」

そして、この大会で山岸は見事に優勝。夢だった『オリンピア』の称号を獲得した。

「『マスター』はついたけど『オリンピア』のタイトルを獲得できたので、それは本当にやってよかったなと思います」

山岸が『マスターズ・オリンピア』に出場するうえで心がけたのは、「日常的な生活をしながら、体をコンテストに出場できる状態に仕上げる」ということだった。

「これまでコンテストに出ていたときは、メンタルがちょっとおかしいというか、そのことしか考えてなくて。冷静になって振り返ってみると、“あんなことはもうできない”という思いがありました。

今はジムも経営してますし、YouTubeもやってるし、サプリメント販売のビジネスもやってるので、当然そちらが優先になって、ボディビルのことは2番、3番になる。“その状態でもコンテストに出れるのか”ということを模索しました。いざやってみたら出られたし、しかも優勝できたので、こういう楽しみ方もあるんだと思いました」

一度は引退を決意した山岸に新たな目標ができた。それは「生涯現役」だ。

「プライオリティは変わってますけど、トレーニングに関しては“好き”なので、一生続けていきます。栄養摂取は大変なんですが、ボディビルを30年やってると、普通に生活していても、筋肉はそんなに落ちないということがわかったんです。

来年の『マスターズ・オリンピア』に出るか出ないか、まだ決めてないですが、この調子なら“出れる”という思いがあります。まだまだ続けていきますよ」

▲「生涯現役」を目標に日夜トレーニングに励む

(取材:山崎 淳) 


プロフィール
 
山岸 秀匡(やまぎし・ひでただ)
1973年6月30日生まれ。北海道帯広市出身、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。身長168cm、体重(コンテスト)95kg / (オフ)105kg。IFBBプロ・ボディビルダー。ボディビルディング最高峰のMr.Olympiaオープンに日本人として初出場。 アメリカのボディビル界では「ビッグキラー」(体が小さくてもデカいヤツを倒すことができる選手に付けられるニックネーム)と呼ばれ、また一方で、168cmの体に96kgの鋼のような筋肉をまとっていることから「ビッグ・ヒデ」とも呼ばれている。ラスベガスでPowerhouses Gym Las Vegas 経営(www.PHG-LAS.com)。自伝『筋トレは人生を変える哲学だ』(KADOKAWA)が好評発売中。X(旧Twitter):@HideYamagishi、Instagram:@hideyamagishi