史上初の女子種目メダル獲得とその意味

女子フルーレ団体、女子サーブル団体、ともに銅メダルを獲得した。これは日本フェンシング界で史上初の快挙であり、競技界隈でも悲願の成果に喜びの声が上がっている。

女子フルーレは「アジアで勝てても世界では勝てない」と言われていた。その理由として女子フルーレのチームは若いチームで構成されることが多く、ハングリー精神に欠けることが多かったからと僕は推測している。

そんなチームを変えたのが、2017年から加入したフランス人のフランクコーチ。もともとフェンシングを楽しみ、目の前の試合には向き合えていたが、足りなかったテクニックと、なによりも“勝つ覚悟”を何年もかけて育て、芽を出したのは東京オリンピック。実になったのがパリオリンピックであると考える。彼女たちが団体で金メダル、個人でメダルを獲得する未来も近いであろう。

女子サーブルは、フルーレよりも世界、ましてやアジアでも勝てないと言われてきた。サーブルは韓国やウズベキスタンなどアジアでも競合が多く、瞬発力や反射神経が他の種目よりも求められることから、フィジカル要素で他国より劣っていた。

その大きな壁を破ったのが江村美咲である。現コーチのフランス出身ジェローム・グーシュからの指導が彼女にマッチし、世界選手権2連覇、世界ランキング1位でパリオリンピックを迎えた。江村は日本選手団の旗手を務め、周囲からのプレッシャーからか、個人戦で思うような結果を出すことができなかった。しかし、その状況を支えたのは福島、高嶋、リザーブの尾崎だ。

準決勝進出をかけて戦った初戦は、世界ランキングでも格上のハンガリー。近年、団体として対戦しておらず、情報も限られているなかでの一戦となった。この試合を制したのは、江村だけの力だけではなく、この4人が揃っていたからこそのパフォーマンスと言える。

フェンシングは、近代オリンピックの初回大会(1896年アテネ)から採用され続けている歴史があるが、女性選手が初めて参加を許されたのは、1世紀前の1924年パリ大会である。

フェンシングというスポーツが、ひとつの歴史を刻むこのタイミングで、彼女らは偉業を成し遂げた。今大会では、IOCによって男女の参加比率が1:1になったと公表されている。ジェンダーに関する注目がスポーツ界でも広がるなか、彼女たちの活躍は周囲に勇気を与えるものになったと思う。

交代選手たちの活躍によるメダル量産と今後の課題

オリンピックにおいて、交代選手という立場があることは、あまり知られていない。開会式などのセレモニーに参加する権利もなく、選手村内に宿泊する権利もない。彼ら彼女らの立場は不安定であり、それは私自身が身をもって感じたことである。

私も東京オリンピックでは交代選手という立ち位置だった。当時、一時的には悔しい気持ちがあふれたが、“交代選手とは何か”というものと正面から向き合えたことで、試合当日まで準備をすることができた。

今大会、個人的には女子フルーレの交代選手である、菊池小巻がMVPだと思っている。日本勢が出場する団体種目のスタートを切った女子フルーレ。菊池の出番がやってくる。2プレー目に彼女が積極的な攻撃を繰り出した。結果は無効面(突いても得点にはならない)の判定だったが、その姿勢を見た瞬間に“菊池は準備がしっかりできている”と感じることができた。

もちろん、正規メンバー3人の活躍を含め、4人全員がパフォーマンスを発揮しての結果だと理解しているが、自分の過去と照らし合わせると、その喜びは大きいものだった。

翌日の男子エペでは古俣聖、その次は女子サーブルの尾﨑世梨、最終日は男子フルーレの永野雄大と、代表チームの交代選手の活躍に各メディアも注目した。単なる4番手ではなく、ピンチを救う救世主として交代選手が控えていたというイメージを体現してくれた彼ら彼女らに、自分も救われたような気がした。

その流れを最初に作ってくれた菊池に試合後、賞賛のメッセージを送ったところ、「東京のときの宇山のように、と意識した」と返信があった。種目や大会が違えど、自分が伝えられたものがあると感じて、いまさらながらに熱いものが込み上げた。

▲カウンターを決める菊池小巻選手 写真:筆者提供

太田雄貴氏によって、日本勢初のメダルを獲得したのは2008年北京オリンピック。その活躍をきっかけにフェンシングを始めた子どもたちが、今の代表メンバーのほとんどを占めている。

フェンシングというスポーツを始める動機のひとつに「自分もオリンピックに出てメダルを取りたい」という純粋な強い部分があると私は感じている。今回のメダル量産の注目により、メダリストになることを夢見る子どもたちが現れることが楽しみだ。

日本フェンシングの強さは今大会で十分に発揮される形となった。しかしながら、普及に関する課題は私も感じている。「フェンシングをやってみたい」という声に、どれだけ応えられるか。体験会やクラブの整備、指導者の養成など、オリンピックの熱が消える前に推進していくことが急務と考えている。

4年後の2028年ロサンゼルスオリンピックでは、もっと多くのファンに応援される競技に成長してほしい。私も支える側の立場として何ができるかを日々模索していく。

▲俯瞰の立場から見たオリンピックは勉強になった 写真:筆者提供

プロフィール
宇山 賢(うやま・さとる)
1991年12月10日生まれ。香川県高松市出身。中学生の時に兄の影響でフェンシング競技と出会う。2021年の東京オリンピックに出場し、男子エペ団体として日本フェンシング史上初の金メダルを獲得。引退後は、株式会社Es.relierを設立。フェンシングを広めるために、さまざまな活動を行っている。X(旧Twitter):@satofen1210、Instagram:satofen.1210