今年7月に開催されるパリ五輪。フェンシングの日本人選手として初めての個人種目制覇を期待されているのが、女子サーブルの江村美咲選手(立飛ホールディングス)だ。昨年7月にイタリア・ミラノで開催されたフェンシング世界選手権では、サーブル個人を制して2連覇。個人では3回戦敗退、団体5位入賞に終わった東京五輪から大きな飛躍を遂げた江村選手に、2度目となるオリンピックに向けた思いをインタビューした。

▲江村美咲【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-Interview】

ライバルに出会って目覚めた勝利への執念

2023年2月には、日本の女子選手としては初の世界ランキング1位に輝くなど、サーブル初のメダル獲得に向けて期待を一新に背負う江村美咲選手。そんな彼女は男子フルーレでソウル五輪に出場した父の宏二氏と、元エペ世界選手権代表の孝枝氏を母に持つ “フェンシング一家”で育った。

「物心がついたときからフェンシングは身近な存在で、両親が世界の舞台で戦っていたことは知っていましたけど、正直言ってフェンシングに対するモチベーションは、そこまで高くありませんでした。周囲に強要されることもなかったので、あまり先のことは考えずに、気が向いたときにだけ楽しく練習していた感じです」

スパルタ教育とは縁遠い幼少期を過ごした彼女に最初の転機が訪れたのは、中学入学を間近に控えた小学校6年生の頃だった。サーブルの大会で、当時、大好きだった「ウサビッチ」のジグソーパズルが優勝者に贈られることを知ると、フルーレの選手でありながらも大会にエントリーし、見事に優勝と景品を手にした。

「初めて優勝を味わったうれしさや、拳を思いきり振り回して一瞬で試合が決まるサーブルの楽しさに魅了されたんです」

これを機にサーブルに転向を決断。だが、本気で練習していなかったと話していた江村選手の心に火を灯したのは、もう少しあとのこと。彼女が真剣にフェンシングに向き合うキッカケになったのは、中学生の頃にJOCエリートアカデミー制度を使って福岡から上京し、今も互いに切磋琢磨を続ける髙嶋理紗選手と向江彩伽選手との出会いだったという。

「最初はフェンシング経験の長い私が勝てていたんですが、真剣に競技に打ち込んでいた同い年の2人にあっという間に抜かれて……。大会に出ても、あとからフェンシングを始めた2人に負けて、毎回3位に終わってしまう。そんな日々を過ごしているうちに“勝ちたい”と思いが徐々に込み上げてきたんです」

その後、真摯に競技と向かい合って実力を磨き上げた江村選手は、中学時代の2014年に出場したユースオリンピックで、女子フルーレの宮脇花綸選手と一緒に大陸別混合団体の金メダルを獲得した。

高校の入学と同時にJOCエリートアカデミーに加入し、フェンシングに適した環境に身を置いた彼女は、2018年の全日本選手権で初優勝を果たすと、翌年には連覇を達成。コロナ禍の影が差し迫る2020年3月のW杯(アテネ)で銅メダルを手にするなど、日本のサーブル界を牽引する存在となり、東京五輪代表の座を掴み取った。

▲フェンシング・サーブル界を牽引する存在となった江村美咲選手(右) Photos : EXDREAMSPORTS / Augusto Bizzi

メダルを逃すも大きな財産を手にした東京五輪

コロナ禍の影響により1年遅れで開催された東京五輪に全力を尽くして臨んだ江村選手だが、メダル獲得が期待されたものの個人サーブルでは3回戦で敗退。団体では5位入賞という成績に終わった。

「フェンシングに対する理解の浅さや、技の引き出しの少なさが敗因だったと思います。でも、当時の100%の力は出し切れたと思いますし、“もう少しでメダルに手が届くんじゃないか?”という希望も持てた。本番に向けて、これまでにないくらいフェンシングに夢中になれた日々も、私にとって大きな財産になったと思います」

3年前のことをこう振り返った。自身のことを「気持ちが勝手についてくるタイプ」と評する彼女は、初の五輪を迎えるまでの数ヶ月間、これまでのフェンシング人生で経験がないほどの充実した日々を過ごしたという。

「本番前には、毎日厳しい練習で追い込んでいるはずなのに、なぜかまったく疲れを感じることがなくて、“もっと練習したい”という気持ちや、モチベーションが日に日に高まっていくような状況でした。

本番の前日も、眠りにつくときに自分の心臓がうるさいくらいに鳴り響いていて、自分の普段とは比べものにならないくらい緊張感を味わいましたし、残念ながら結果は出せませんでしたけど、高い集中力で競技に向き合えた時間は、今につながっていると思います」

当時をこう振り返るが、東京五輪後に感じていた素直な気持ちも打ち明けてくれた。

「“もうこれ以上、何もできない”と思えるくらい全力でやってきた自信があったので、オリンピックを終えたときには、これから何をすればいいのかわからなかったですね」

自分自身を極限まで追い込み、確かな手応えを手にした東京五輪の反動は、予期せぬ形で押し寄せた。3年後のパリ五輪に向けての再スタートとなった全日本選手権(2021年11月)では、決勝で髙嶋理紗選手に敗戦していまう。

「“もっと練習を頑張らなきゃ……”という気持ちだけで体を動かしていたら、あるときからフェンシングが楽しくなくなってしまったんです」

「いま振り返ってみると、どこかモヤモヤした気持ちがあったと思う」という試合では、自信のなさが試合に出て、初めて自分に負けたと唇を噛み締める。そして、極限状態で過ごしていた江村選手を、コロナ禍が続く当時の社会状況も追い討ちをかけた。

「その頃は厳しい感染対策が取られていたので、海外遠征から帰国すると隔離期間がありました。そのあいだは練習ができなくなってしまうので、2022年の年明けから春頃までは、ほとんど日本に戻らない状況が続いていたんですけど、慣れない環境で今まで以上にハードな練習を繰り返していたら、3月の終わり頃に練習をやりたくなくなってしまって……。コーチに話して少しだけ休養させてもらうことにしたんです」

2週間におよぶ休養では、旅行に出掛けたり、今ではトレードマークになった明るいヘアカラーに染めて過ごしたという彼女は、このしばしの休養を通じて休息の大切さに気づかされたという。

「それまでは“他人が休んでいるときに練習してこそ、試合に勝てるようになる”と思っていたんですけど、心を休めることの大切さを身をもって知り、それまで自分が知らなかったことに触れることもできた。さまざまな発見のある有意義な時間を過ごせたと思います」

▲休息の大切さに気づいてリラックスモードになる日もある Photos : EXDREAMSPORTS / Augusto Bizzi