10年近く、抗うつ薬を飲み続けた女性が正しい診断と「薬に頼らないリワークプログラム」で見事復職を果たしたという話の後で、亀仙人こと亀廣医師は、ひなたに問診票の束を渡します。家族や職場の人に書いてもらう分もあるから、できる限りいろいろな方向から情報を集めて診断するからと、その理由を説明されますが、職場の人たちには伏せておきたいひなたは、気が進みません。
カミングアウトすることが大切なんだ
ひなた 「家族はまだしも、職場の人は……」
思わずそう渋る私に、亀仙人は言います。
亀仙人 「ケガをして杖をついている人が職場にいたら、ひなたちゃんだって助けるでしょ?」
ひなた 「そりゃ……」
亀仙人 「それはなぜ?」
ひなた 「なぜって、困っている人がいれば、助けてあげるのは当然のことだからですよ」
亀仙人 「そうだよね。でも、こころの杖は他人には見えないんだよ。だから、隠そうとするのではなく、カミングアウトすることが大切なんだ」
亀仙人 「うちのクリニックに、ひなたちゃんのように初診で来る人は全体の3分の1。残りの3分の2は他院からの転院。で、そのほとんどが『うつ病』と診断されて、薬を飲み続けているけれど改善されない人たちなんだ」
亀仙人 「そもそも、本当にうつ病を患っている人は、見ただけでわかることが多いんだよ。身なりとか化粧とかをきっちりとできていて、自分で何枚もの問診票をすみずみまで書ける時点で、まず、うつ病ではない」
ひなた 「じゃあ、うつ病と診断されてそうでなかった人は、どんな診断になるんでしょう?」
思わず私の口から出た素朴な疑問に、亀仙人はホワイトボードを指差しました。
亀仙人 「うちのクリニックでは、その6割以上が、あそこに書いた“双極性障害”のうちのひとつの“双極Ⅱ型障害”という診断になったんだ」
双極性障害は「Ⅰ型」と「Ⅱ型」の2種類。「Ⅰ型」は躁状態が顕著。「Ⅱ型」は躁状態の山が長くて、わかりにくいという特徴があるそうです。
高速道路にたとえると、それはまるで上り坂を示すサインがないと気づかない程度の緩やかな上り坂。何気なく数キロ進んで振り返ってみてやっと、けっこう高くまで登っていることに気づくような、そんな感じだと言います。
どちらも、うつ病のように原因がよくわからない「心の病気」ではなく、脳神経系のバランスが崩れることで発症するという、メカニズムがわかっている病気だそうです。
脳神経は「中枢」と「抹消」の2種類。「中枢」は思考・気分・意欲といった高次機能を司る。「抹消」は運動神経・自律神経を司ります。その両方がバランスを崩すことで、さまざまな症状が出ることになります。末梢神経である自律神経がバランスを崩すと、悲しくもないのに涙が出たり、暑くもないのに汗をかいたり、突然の動機やめまい、耳鳴り、頭痛といった身体の不調が現れます。
一方で思考・気分・意欲を司る中枢神経がバランスを崩すと、こころのバランスがおかしくなってしまいます。誰にでも気分の上下や、やる気のあるなし、という波のようなものは存在します。通常の状態では思考・気分・意欲の3つの波が同調して、気分が落ち込めば(気分)、やる気がなくなって(意欲)、何も考えたくなくなります(思考)。逆に気分が上がれば、やる気が増して、さまざまなことを考えます。しかし、中枢神経がバランスを崩すと、思考・気分・意欲の波にズレが生じてしまうのです。