亀廣医師は、日本うつ病学会のガイドライン――大うつ病以外の抑うつ症候群に対する抗うつ薬の投与を推奨しない――があるにもかかわらず、投与が減らない現状を憂いつつ、自分が「うつは心の風邪」というよく知られたコピーではなく、あえて「こころの骨折」という言い方をする理由を話します。なぜなら……。
2週間以上眠れないのはうつのサイン
亀仙人 「ひなたちゃん。『うつは心の風邪』っていうキャッチコピー、聞いたことないかな?」
ひなた 「あります。先生にはじめて会った日の朝に『うつはこころの骨折』と言われたとき『こころの風邪』というのは、聞いたことがあると思いました」
亀仙人 「『骨折』というのは、寛解状態になってからもリハビリが必要だから、という意味で、うちのクリニックでは『骨折』という言い方をしてるんだ」
亀仙人 「一方の『うつは心の風邪』というのは、1999年に本格化した、製薬会社による、うつ病の啓発キャンペーンのコピーのひとつなんだよ」
ひなた 「製薬会社による、うつ病の啓発ですか?」
亀仙人 「そう、風邪って呼ぶだけで、誰でもかかる、どうってことない病気に思える」
亀仙人 「当時、日大医学部の内山教授の試算で、不眠による日本の経済的損失は、年間3兆5000億円と言われていたんだ」
ひなた 「3兆5000億円ですか!? ものすごい金額ですね」
亀仙人 「だから不眠の大きな原因のひとつである、精神疾患の啓発キャンペーンを行うこと自体はいいことなんだよ。だって偏見を持たれていた精神科のハードルが下がるからね。でも、やりすぎなんだよ」
亀仙人 「メタボリックシンドロームの啓発キャンペーンの場合、誰が見ても客観的に明確に線が引ける『男性腹囲85センチメートル以上』というコピーのおかげで、啓発に大成功したんだ。でも、精神疾患の場合、とにかく線を引くことが難しい」
ひなた 「たしかに、何をもってというのは説明しにくいですよね」
亀仙人 「それに、日本の中高年の労働者は『悩みごとを相談するのは弱い証拠』『忙しいのはいいこと』という高い壁に囲まれていたんだ。その高い壁を突き破って、かつメタボに匹敵するキャッチコピーが必要だったんだけど、1998年ついにそのキャッチコピーを冠したキャンペーンが登場するんだ。そのコピーってわかるかな?」
ひなた 「広告代理店勤務と言っても、私は営業ですからねぇ……」
亀仙人 「正解は『パパ、眠れてる?』」
亀仙人 「そしてコピーは、こう続くんだ。『2週間以上眠れないのはうつのサイン』」
ひなた 「なるほど……。睡眠時間にスポットをあてると、具体的な数字になってチェックしやすくなりますね」
亀仙人 「でもその結果『眠れないのはうつ』という言葉が、流行語のようにひとり歩きすることになってしまうんだ」
ひなた 「啓発というのも、善し悪しですね」
「ホントそうなんだよ。そして、2週間以上眠れないなら医者に相談しよう、憂うつな気分が続けば早期治療が必要だと騒ぎ立て、悩める健康人までうつに仕立て上げられて、駅前クリニックが乱立することになる。結果、薬が大量に処方される」
・軽いうつ病があると刷り込まれた国民
↓
・誰でも気軽に心療内科
↓
・駅前クリニックの乱立
↓
・薬が大量に処方される