映画『キングスマン ファースト・エージェント』では、イギリスの俳優リス・エバンスの怪演がSNSなどで話題になったラスプーチンは、数多くの創作作品に登場する人を惹きつける力を持っている。ロシアの皇帝ニコライ2世の信頼を受け、宮廷専属の呪術医として登用された実在する人物だが、そんな奇怪な生涯を送った怪僧ラスプーチンについて、歴史作家・島崎晋氏が紹介する。
※本記事は、島崎 晋:著『呪術の世界史 -神秘の古代から驚愕の現代-』(ワニブックス)より一部を抜粋編集したものです。
さまざまな異名を持つラスプーチン
ロシアのロマノフ王朝を滅亡に追い込んだ怪僧ラスプーチン。2021年制作の英米合作映画『キングスマン ファースト・エージェント』にも悪役の一人として登場する。
怪僧とは微妙な肩書である。ロシアにも仏教徒は存在するが、東北アジア系の少数民族に限られ、ロシア系住民の大半はロシア正教会の信者だからだ。キリスト教の修道士を僧侶と呼ぶこともあるが、ラスプーチンは正式な聖職者でなく、修道院で過ごした時期も僅か3か月。
1892年に家族を残して家を出て以降、人生の大半を放浪に費やした。あえて肩書をつけるとするなら、「さすらいの修行者」といったところか。
ラスプーチンの信仰に関しては、ロシア正教会の多数派から異端視された鞭身派とする説があり、『岩波キリスト教辞典』は「鞭身派」について以下のように記す。
「17世紀後半に発生したロシアの古儀式派(ラスコーリニキ)の一宗派。農民、商人、修道士や修道尼などから成る信徒の共同体では、いかなる祈祷書もイコンも用いず神とじかに交流することを目指し、熱狂的に歌い踊りながら互いに、また自身を鞭打つ儀礼を行なった。信徒は、自虐的な興奮のうちに宗教的法悦状態に陥り、そのクライマックスでは聖霊が降臨し啓示を与え、参加者の中のある者にキリストや聖母が宿るという幻覚を体験した」
細かな経緯は不明ながら、1905年の帝都サンクトペテルブルクでは、エリート層のあいだで代替医療やオカルトへの関心が高まっており、ラスプーチンはその状況を追い風として、腕利きのヒーラーとして名をなしていた。
有名人でありながら、ラスプーチンほど毀誉褒貶の激しい人物も珍しい。多くの熱狂的な女性信者に囲まれ、謹厳で賢く、心の清い「神の人」として崇められるかたわら、大酒のみで、性的倒錯が甚だしいというのだから。
悪い評判があるにしても、ヒーラーとしての腕が確かなら頼りたい。これぞ深刻な悩みを抱える人の心理で、皇帝ニコライ2世の夫人である皇后アレクサンドラもその一人だった。
彼女が気に病んでいたのは、唯一の男子である皇太子アレクセイの体調管理で、血友病を患う皇太子は、ちょっとした怪我や虫刺され、鼻血でも、一度出血すると、なかなか血が止まらなくなる。
出血のたびに生死の境をさまよう我が子の姿は不憫で仕方がない。名医と評判の医師を呼んでも有効な治療を行なえる者はなく、もはや呪術医療に頼るほかないと思い始めたところへ、ラスプーチンの噂を聞いた。
すぐに効果があったわけではないが、初めて宮廷に呼んでから3年後の1908年、奇跡が起きた。ラスプーチンがやって来るや否や、アレクセイを襲っていた症状がにわかに和らいだのである。衝撃の現場を目の当たりにした皇帝夫妻は、これよりラスプーチンを重用するようになった。
宮廷専属の呪術医としての登用。これだけなら、さほど大きな問題とならなかったところだが、ラスプーチンが政治的な助言をするようになってから、貴族や政府のなかにラスプーチンを警戒するのはもちろん、偽医者の詐欺師として忌み嫌う者が増え始めた。
青酸カリでも銃弾でも死ななかった怪僧
第一次世界大戦が勃発して、ドイツと戦争状態に入ると、ドイツのヘッセン大公国出身のアレクサンドラに対する風当たりが強まり、孤立と敵意の視線に苛まれた彼女は、ますますラスプーチンを頼りとした。
すると今度は、皇后とラスプーチンが不倫関係にあるとの噂が流れ、2人は「ロシアを破滅に導く闇の勢力」とまで中傷されるようになった。
皇后はともかく、ラスプーチンをなんとかしなくてはいけない。ラスプーチンは専属の運転手を与えられ、どこへ行くにも自動車で移動。警察の護衛もついているから、容易に近づくことができないが、ラスプーチンがいる限り、亡国は免れないとして、ラスプーチンの暗殺を決意した者たちがいた。
ニコライ2世の姪を妻に迎えたフェリックス・ユスポフ公、ニコライ2世の従兄弟にあたるドミトリー・パブロビッチ、ラスプーチン批判の急先鋒であった国会議員ウラジーミル・プリシケビッチの3人である。
暗殺計画は入念だった。まずはユスポフがラスプーチンに近づき、折を見て妻を紹介したいと言って、自宅に招待する。誰にも知られないようこっそりと来てほしいと。
賄賂として妻の体を提供すると匂わせているのだから、ラスプーチンが断るはずもなく、本当に護衛一人つけずにお忍びでユスポフの屋敷を訪れた。
ラスプーチンが大好物だというプチフール(一口サイズのケーキ)に青酸カリの結晶を仕込む。どんなに鍛錬を積んだ人間でも即死を免れないはずが、ラスプーチンはケーキをいくら食べようが平然としている。そこでワイングラスにも毒を仕込んだが、これまた効果なし。
驚愕したユスポフらは念のため用意していた拳銃を使用することにした。まずは背後から胸のあたりに2発。一度は倒れ込んだラスプーチンがすっと起き上がり、雪の積もった外へ逃れると、さらに4発を発砲。そのうち一発が右腎静脈から背骨に貫通して、ラスプーチンは再び倒れ伏す。そこへとどめとばかり、額に一発お見舞いする。
3人は事件の発覚を少しでも遅らせようと、絨毯で覆った遺体を車でネヴァ川の中州まで運び、氷を割って開けた穴から水中へと遺棄した。
警察の手で遺体が発見されたのは、それから3日後のこと。検死の結果、額に受けた銃弾が致命傷とも、死因は溺死で、川へ遺棄されたときはまだ生きていたとも言われている。最後まで謎のベールに包まれた人物だった。