対照的な『ポツンと一軒家』の世界観
それでも、ふと浮かぶ疑問がある。
日曜21時からの『半沢直樹』の直前。日曜20時から朝日放送系でオンエアされている、もうひとつの超高視聴率番組『ポツンと一軒家』との関係性だ。
この2つの人気プログラムは、対極の方向を指し示しているように思えてならない。正反対の価値観を提示してくる。
いったい視聴者はどっちが好きなのか。両方とも好きなんてことがあリ得るのか。それとも視聴者の層は分かれるのか。
『ポツンと一軒家』は、日本各地の人里離れた場所にポツンと存在する一軒家を探して、衛星写真を手がかりに訪ねていく番組だ。そこにはどんな人物が、どんな理由で暮らしているのか。
一軒家に住む人はさまざまだ。定年退職した後、のんびり暮らすために電気も通ってない場所に引っ越してきた人もいれば、仕事のために山奥に住んでいる人もいる。子どもの頃から家族で住んでいたのが、時間の経過によって、一人になったおばあちゃんもいる。
共通するのは、人間関係のストレスのなさだ。ポツンと一軒家に一人か、せいぜい家族と二人なんだから、ストレスなんかないに決まっている。
厳密には少し離れた集落の人たちとの付き合いがあったり、年老いた親の世話をしているケースもあるから、ストレスフリーではないにしても、少なくとも『半沢直樹』のようなねじれた人間関係とは無縁。顔を近づけて、圧をかけてくる面倒な上司もいない。
毎日、自分の好きなこと、やりたいことを、自分の決めたスケジュールに沿って実行しながら、人里離れた土地で暮らしている。そんな人たちの生き方がクローズアップされる。
このドキュメンタリーを見て、湧き上がるのは「人間の幸福とはなんぞや」「人が幸せになるのに本当に友人や家族は必要なのか」「働くことなんか人生の一部分でしかないよね」といった、こちらの日常を揺るがしかねない大きな問いかけであり、私の場合には「ああ、自分と同じ種類の人が、日本のいろんな場所で生きている。良かった」という安堵でもある。
おひとり体質の人間は、ポツンと一軒家に暮らすことに抵抗はない。寂しそうという感情よりも、気楽で自由で楽しそうという共感が先に立つ。
世の中の『半沢直樹』に夢中な人たちは、『ポツンと一軒家』をどんな目で見ているのだろうか?
逆に『ポツンと一軒家』に夢中な人たちは『半沢直樹』を楽しめているのだろうか?
私にはその辺がよくわからない。だって2つの番組が見せてくれる幸せや、たどりつく人生の楽園は、まったく正反対じゃないですか、と。
山奥の一軒家に住む人はおそらく、出世にも、復讐にも興味がない。もし過去にはあったとしても、そんな過去を切り離したから、今がある。
順序としては『半沢直樹』の高血圧な争いにぐったりした後に、ポツンと一軒家の癒やしを得たい。だから私はいつも録画をして、その順番で見ている。
そうでもしないと、香川照之や市川猿之助の顔芸の残像を、解毒できないからである。