こんにちは。獣医師の北澤功です。今回は、僕が動物園に勤務していた時のキリンの出産についてのお話です。出産という新たな命が誕生する瞬間。しかし、その裏側には過酷な現実が待ち受けているときもあるのです。
2メートル落下して産まれる子キリン
4月下旬、動物園内の桜は満開でキレイに咲き乱れ、気温も温かく過ごしやすい日のこと。夜10時にキリン飼育担当の木村さんから連絡が入りました。
「始まりました、すぐ来てください」
自宅でお風呂に入っていた僕は、慌てて作業着に着替え動物園に向かいました。この時の僕は、まだ新米の動物園獣医師。
“始まった”とは、キリンのアズサの出産のこと。僕がキリン舎につくと、アズサは寝室をウロウロと歩き回っていました。アズサの陰部からは、すでに小キリンの前脚が出ている状態。
「脚が出てからどのくらい経ちましたか?」と聞きます。
「20分ぐらいかな」と木村さんは答えました。
そこからさらに20分。アズサはずっと歩き回っているものの、なかなか産まれません。僕にとってはキリンの出産は初めてのこと。緊張で手のひらはビッショリと汗をかいていました。
その間、アズサの早かった呼吸が、ゆっくりとなることが多くなり、陣痛が弱まってきた様子。「引っ張り出した方がよいのか?」と考えましたが、気が立っているので、うかつに近づくとこちらにも危険が及びます。何もできないまま、いたずらに時間だけが過ぎていきます。
脚が出てから1時間ぐらい過ぎたころ。アズサの呼吸が突然激しくなりました。そして残りの力を振り絞るように脚を踏ん張った。
次の瞬間、“ドスン”という大きな音とともに、80kg近い赤ちゃんが地面に落ちました。子キリンの誕生です。
しかしその直後、アズサは後ろ脚を大きく広げたまま、開脚状態で座りこんでしまいました。立とうと脚に力を入れますが、滑って立てません。
体重1000kgを超える大人のキリンが立てないことは「死」を意味します。
キリンは立って生活する体のつくりになっているため、長い時間、横になっているとすぐ床ずれができ、壊死していきます。内臓にも負担がかかり、動けなくなってしまうのです。
赤ちゃんキリンも地面に倒れたまま全く動きません。本来ならお母さんが舐めて刺激をするのですが、アズサも自分が立ち上がろうとすることで精一杯。代わりに僕が、赤ちゃんを藁でゴシゴシとこすって刺激を与えました。刺激を与え続けると、頭を上げて大きく息を吸い、呼吸を始めたので一安心です。
キリンは頭を前後に振り、その勢いを使って立ち上がります。アズサも立とうと、何回も何回も頭を大きく振ります。
そのたびに“どすん”と、大きな音が部屋に響き渡りました。頭がコンクリートの壁にぶつかってしまうのです。頭の皮ふが切れて、まぶたもみるみる腫れあがりました。
キリンは、高い位置にある頭に血液を送るため、血圧がとても高いのです。頭を壁にぶつけることは、脳内出血の危険があります。木村さんと僕は、交代でアズサが頭を振らないよう押さえることに。
結局その日、アズサは立ち上がることができませんでした。