7月の都知事選で小池百合子氏の続投が決まったものの「コロナ」を理由に、ほとんど報道されなかった都政の懸念点をまとめた新書『東京終了』(小社刊)を上梓した舛添要一氏。親友・菅総理大臣が直面する問題から、コロナ禍で日本の首都が目指すべき方向性まで、都知事の前任者として縦横無尽に語ってもらった。

議員時代からの親友・菅総理大臣

9月14日の自民党総裁選で、菅(義偉)さんが第99代の内閣総理大臣になりましたね。彼はわたしと同じ昭和23年生まれで、いつもは「菅」「舛添」と呼び合っている仲で、議員の時代からいわゆる親友関係でした。ほとんど兄弟みたいなものだと思っています。

2006(平成18)年の自民党総裁選でも、菅さんが20人の推薦人の名簿をもってきて、わたしを総裁候補に担ごうとした動きがありました。もっとも、あのときは青木幹雄さんという参議院のドンに潰されたわけですが、そういう目でわたしという政治家を見ていてくれていたのが菅さんなのです。

わたしが都知事になってからも、国との連携強化という点では、官房長官の要職にあった菅さんとわたしとの関係が非常に役立ちました。

たとえば、知事に就任して痛切に感じたことの一つが、こういってはなんですが、都の職員の勉強不足、レベルの低さというのがあったのですが、菅さんの配慮で、国から優秀な官僚を都に何人も派遣してもらうことができましたし、それ以外にもさまざまな点で政策調整を行うことができたわけです。

あるいは、都知事選でわたしの当選がほぼ確実視されていた時期、都議会自民党幹事長や政調会長、都議会議長などを歴任した内田茂氏と、わたしは会食する機会をもったのですが、それをセットしたのは、実は菅さんです。

知事になっても、都議会のドンと呼ばれていた内田氏と良好な関係を維持できなければ、都議会運営に大きな支障を来すことはあきらかでしたから、そこを慮った菅さんの配慮でした。菅さんには感謝したものです。

会食中の会話もすべて仕事に関すること

わたしも、彼の横浜の選挙(神奈川2区)には応援に行ったりしましたし、うちのかみさんが神奈川県出身ということもあって、家族ぐるみで親しくさせてもらっています。

▲衆議院小選挙区 横浜市 出典:ウィキメディア・コモンズ

もう時効だから言いますが、都知事になってからも、実は毎月一回か二回は、彼と“お忍び”で食事をしながら打ち合わせをしたものです。

最近、テレビで菅総理のプロフィールがよく紹介されているようですが、とにかく彼は酒を飲まない。ですから、食事の際も「俺は勝手に飲むぞ」などと言って、ビールかワインを注文するのですが、彼はランチでも夕食でも一切飲みません。

だからこちらも多くは飲まない。そうすると、食事中はすべて仕事の話。彼は冗談をいったり、意味のないバカ話をしたりもしません。非常にまじめな男なのです。

こうした経緯もあって、わたしとしては歴代の総理大臣に対する見方とは違った角度で見ていますし、応援もしているのは事実です。