西洋の名画と言われるアートには理由がある。教養としても知っておきたい、たった1枚の絵から浮かび上がるメーセージや、正しく読み解く時代背景のヒントを西洋美術界のエンターテイナー・木村泰司氏がコミカルに解説。昔は絵画にタイトルが必要ありませんでした、それは「お決まりごと」があったからです。

※本記事は、木村泰司:著『名画はおしゃべり -酔っ払いから王侯貴族まで-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

「死を忘れるな」が今に訴えかけること

コロナウイルス騒動で精神的にヘトヘトな日々が続いた私。医療関係者の方々や、近所のスーパーマーケットの方々には本当に頭が下がります。もちろん、宅配関連の方々にも……です。もう、感謝の気持ちばかり。テレビをつけてもコロナ関連の報道ばかりで、恐怖心をあおられるばかりで……。

それにしても、まさか自分が生きているときに、まるで中世のヨーロッパでペストが席巻したように、このようなウイルス騒動が起きて、生活を左右されるとは思いませんでした。

そして仕事柄、当たり前のように仕事や休暇で、年に何回も海外に出かけていたことがまるで噓のよう……。「こんな騒動に巻き込まれるとは……」と多くの方も同様に思ったことでしょう。

私のアメリカの友人も親族を亡くしましたが、海外は死者も多く出ています。CNNなどで海外での悲惨な状況を見て、つい思い出した絵画はピーテル・ブリューゲル(父/1525〜69)でした。

14世紀中頃にヨーロッパを襲ったペストの大流行では、2500万人ほどが命を失ったと考えられています。それはコロナウイルス同様に、社会的身分に関係なく人々を感染させ、そして死をもたらした恐怖の疫病でした。その結果「死」をテーマにした、絵画や版画が制作されるようになったのです。

▲死の勝利/ピーテル・ブリューゲル(父) 〈1562〜63年/プラド美術館〉

このブリューゲルの作品は、ペストの流行をテーマにしているわけではなく、処刑なども描かれていて「メメント・モリ(死を忘れるな)」がメインのメッセージです。古代ではメメント・モリは「現世を楽しめ!」的なメッセージでしたが、キリスト教社会になってからは、天国や魂の救済を意識させるメッセージとなったのです。

さすがネーデルラントの画家らしく、ブリューゲルの作品は風景の中に細かくさまざまな死が描かれています。まさに、身分を問わず訪れる容赦のない死です。そして、ネーデルラントの先輩画家であるヒエロニムス・ボス(1450頃〜1516)の影響が垣間見える作風でもあります。

男性の裸体表現が画家にとって腕の見せ所だった

この疫病に対する恐怖によって、守護聖人として人気となったのが3世紀に生きた聖セバスティアヌスです。

ローマ帝国の軍人だったとされ、キリスト教徒であることが露見し射殺されました。実は、矢は急所を外れてその場では息絶えていないのですが、作品によってはその伝説に従っていないものが多いのです。致命傷にならなかったため回復し、ローマ皇帝の前でキリスト教徒であることを改めて公言し、こん棒で打ち殺されて殉教しました。

疫病に対する守護者となった、この聖人への信仰が高まるのは14世紀以降のことでしたが、それはちょうど西洋美術史では絵画の時代に入っていく頃と重なります。木か柱に縛り付けられた裸体の男性に矢が刺さっていたら聖セバスティアヌスです。昔は絵画にタイトルが特に必要なかったのはこういうこと、つまり「お決まりごと」があったからでした。

▲聖セバスティアヌス/グイド・レーニ (1615年/ストラーダヌオーヴァ美術館)

画家にとって腕の見せ所だったのが、男性の裸体表現でした。なぜなら、一番技量を問われるものだったからです。西洋美術史を振り返ると、女性の画家が少ないのはそのためです。

19世紀末までパリの官立美術学校は、女性の入学を許しませんでした。それは、男性裸体像が必須の歴史画家を育てる機関であったからです。

アカデミーが創設された17世紀になると、絵画のジャンルも多様化しますが、それでも神話画や宗教画などの歴史画が主流であることは変わりませんでした。そのため、キリストの磔刑図をはじめ、画家にとって男性裸体表現が必須の技量であり、見せ所であったのです。

人間の体は完ぺきではないからと、イタリアでは古代の神々や古代オリンピックの優勝選手を表した古典彫刻が、当初は裸体のモデルとなりました。そのため、北方の画家たちは風景描写が得意だが裸体はダメ……と評価されていたほどです(イタリアと違いモデルとなる古代彫刻がないですから……)。

16世紀以降、北方の画家たちがイタリアで芸術修行をするようになるのは、そのためでもありました。もちろん、やがて実物の人間をモデルに、裸体像が描かれるようにもなります。現代の美大などもその伝統を継承しています。


西洋美術史家・木村泰司さんが2020年9月13日ご逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。