東京大学ではTOEFLを大学院入試の一環として使用していたが、ほとんどの博士課程入試合格者のスコアは600点に達することがないのが、日本の英語教育の現状だ。「日本の外国語教育はおかしい」と警鐘を鳴らしている東京大学名誉教授のロバート・ゲラーさんが、日本の英語教育の現在地を提示するとともに、大学での英語教育の実践的な方法を提案する。

大学で英語ブートキャンプを開設せよ

私が勤務していた東京大学では、すべての1~2年生が、教養学部がある駒場キャンパスで学ぶ。その後、進学振り分けという制度によって、専門となる学科へ進学する。

東京大学駒場キャンパスは、日本の大学の中では優れた英語教育を行う努力をしているほうだとは思う。だが、いかんせんコマ数が足りなすぎる。1回105分の授業が週に3~4回程度では、語学教育には全然足りない。

学生たちは、ほかの授業もたくさんあって忙しいから、例えば夏休みに3週間かけて朝から晩まで徹底して英語の特訓をすればよい。そうすれば英語はかなり上達するだろう。そこで私は、東京大学をはじめとする日本の大学に、英語の「ブートキャンプ」を設けるべきだと提案した。

▲大学で英語ブートキャンプを開設せよ イメージ:PIXTA

ちなみに、東京大学では「すべての理系の講義を英語で行うように切り替えるべきだ」という議論がときどき起こる。私は総論としては反対しないが、現実問題として学生(一部の教員も)の英語が十分なレベルに達していないため、英語で授業を行うと内容が伝わらない恐れがあると思っている。

先述したような夏休みの「英語ブートキャンプ」を設置し、学生の英語レベルを徹底的に向上させるならば、理系の授業を英語で行うことも今後できるようになるかもしれない。

英語だけで教育を行うからといって、もちろん日本文化としての日本語を軽視するものでは全くない。英語は世界における「リンガ・フランカ(情報伝達の共通媒体)」だし、効率的なリンガ・フランカをもてば情報発信がより容易になる。

この点で諸外国は、日本よりもはるかに進んでいる。例えばチューリッヒにあるスイス連邦工科大学(ETH)では、大学院生の大多数と多くの教員はスイス国籍を有していない。ここではすべての大学院の講義が現地語(ドイツ語)ではなく、英語で進められる。事務スタッフや技術職員さえも流暢な英語を話す。

世界に開かれた知的環境とは、このような状態をいうのだ。東京大学でも大学院教育の英語化を実施できれば、海外から数多くの優秀な院生や教員が集まるだろう。

世界に開かれた知的環境を整備できれば、東京大学の教育・研究はさらにレベルアップする。その前に避けて通れない課題が、東大生の英語力の低さだ。残念ながら、日本で最難関の大学の学生でさえ英語のレベルは高くない。これは由々しき問題だ。

ほとんどの院生はアメリカの博士課程には入れない

私の見るところ、東京大学に限らずほとんどの日本人学生にとって、英語だけで進める講義をフォローするのは至難の業だろう。

英語力を評価するにはさまざまな手法がある。TOEFL試験はその一つで、国際的にも広く使われている。TOEFLの紙媒体試験(PBT)の点数は最低310点から最大677点まであり、アメリカの一流大学の博士課程に入学するためには、TOEFLで600点のスコアが合格ラインの目安だ。

TOEFLで600点以上を取れたとしても、かろうじて英語によるアメリカの大学院の専門講義をフォローでき、多少なりとも議論に参加することができるレベルでしかない。アイビー・リーグ〔アメリカ東海岸にあるハーバード大学やイェール大学、コロンビア大学など8つの一流大学〕の博士課程で学問を究めるためには、もっと高いTOEFLスコアが必要だ。

東京大学で私が所属していた専攻では、TOEFLを大学院入試の一環として使用していた。残念ながら、ほとんどの博士課程入試合格者のスコアは600点に達することなく、550点以上を達成する者でさえ、全体の約4分の1程度にとどまる。

つまり英語に限って言えば、現役の東京大学の大学院生のごく一部のみが、アメリカの一流大学の博士課程に辛うじて「すべり込みセーフ」で合格できる程度だ。ほとんどの院生は、アメリカの一流大学の博士課程に入ろうとしても不合格だ。ほかの専攻や研究科の教員にも聞いてみたところ、この状況は東京大学全体でほぼ同様だった。 

▲ほとんどの院生はアメリカの博士課程には入れない イメージ:PIXTA

日本のほとんどの学生は、少なくとも中学校と高校で6年間英語を勉強する。四年制大学まで進学すれば、大学1~2年生の2年間も英語の授業があるから、つまり合計8年にわたって英語教育を受けたことになる。にもかかわらず、博士課程進学時点のTOEFLのスコアがかくも低いのには、愕然としてしまう。

根本的な問題は日本における英語教育そのものにあるが、大学として今すぐできることはある。前述のように、学部生も大学院生も一緒になって、夏休み中に全員「英語ブートキャンプ」を受けるのだ。

泊まり込みで朝から晩まで何週間も英語を集中的に学ぶ。食事中や休憩中も日本語を使うことは禁止にし、短期集中で英語漬けの特訓を受ける。こういった荒療治をすれば、学生の英語力が飛躍的にアップすることは間違いない。

これを実現するためには、相当な財源を確保しなければならないだろう。だが、日本の大学が世界の大学と伍してそれなりのポジションを占めたいと思うのであれば安いものだ。この程度の大改革を実施できないようなら「大学の国際化」は、絵に描いた餅に終わることだろう。

※本記事は、ロバート・ゲラー:著『ゲラーさん、ニッポンに物申す』(東京堂出版:刊)より一部を抜粋編集したものです。