「日本の外国語教育はおかしい」と警鐘を鳴らす、東京大学名誉教授のロバート・ゲラーさん。自分自身の日本語学習体験を紹介するとともに、英会話学校で英語を学ぶことについて持論を展開します。辛抱と日々の努力なくして語学の上達はないようですよ。

今でも思い出す人工的だが勉強になった例文

私が東京大学に赴任したのは1984年のことだ。いずれ日本で教員を務めようと2年前に仮内諾した私は、1982年の夏にアメリカで「読む・書く・話す・聞く・文法」の日本語教育を10週間、集中的に受けた(私はスタンフォード大学の教員だったが、日本語入門授業の担当教員は、私に学生と同じ授業の参加を認可してくれた)。

あれがなければ、今のように日本語を自由に使いこなすのは無理だっただろう。おかげできちんとした基盤ができた。

私が日本語を学び始めたのは、大人になってからだったが、あのときは子ども時代に立ち返ったつもりで、イチから真剣に日本語を勉強した。授業で学んだ一つの例文を今でも思い出す。

「夕べ、銀座で、海老の天ぷらを食べましたが、傷んだ海老だったから、病気になりましたよ」

いかにも人工的な例文ではあるが、文法的に見ると、巧みに多くの言い回しが盛り込まれている。

▲今でも思い出す人工的だが勉強になった例文 イメージ:PIXTA

新聞を読んでいて知らない言葉があれば、辞書を引いてそのつど漢字を学んでいく。テレビやラジオを聴いていれば、辞書には載っていないスラングも出てくる。そういう言葉も少しずつ覚えていった。

頭の中で英語から日本語、日本語から英語へと毎回翻訳していたら、とても間に合わない。日本語を使うときは日本語脳、英語を使うときは英語脳に切り替える必要がある。

これまた厄介な作業だったが、何年も努力を重ねるうちに、日本語脳と英語脳を簡単にチャンネルチェンジすることができるようになった。

日本語で「あいつは開き直っている」という言い方があるが、英語では「あいつは開き直っている」をひとことで表わす言い方はない(余談だが、だから機械翻訳は難しい)。

こういう微妙なニュアンスの違いは、外国語の一番難しいところだ。だが辛抱強く勉強を続ければ、外国人である私でも日本語でジョークをかまし、日本人を大笑いさせることはできる。皆さんもきっと同じはずだ。

英会話学校は学校ではなくサービス業!?

テレビCMでも、新聞や電車内の広告を見ても、英会話学校の宣伝が絶えることはない。教室に通わず、オンラインのチャットを使って英会話を安く学べるサービスもある。英会話の勉強をしたがるビジネスマンは多い。

こうした英会話学校やチャットで英語が上達する、という勘違いは手痛い失敗をすることになる(最近の事情は調べていないが、昔は一部のスクールにはまともな先生がいた)。

通常の英会話学校は、アメリカ人やカナダ人、フィリピン人など英語のネイティブ・スピーカーをインストラクターとしてそろえていれば、それなりに体裁は整う。しかし、彼らは短期的に出稼ぎにやって来ただけの人かもしれないし、英語教育法を専門的に教育機関で学んでいるとは限らない。

▲英会話学校は学校ではなくサービス業!? イメージ:PIXTA

多くの一般的な英会話学校の場合、インストラクターの仕事は、ゆっくりはっきりとわかりやすい英語を喋り、生徒を満足させて帰らせることだ。

生徒は「英語がわかったつもり」「英語がうまくなったつもり」で帰っていくが、実力は伴わない。日常生活の中で、そんなにゆっくりはっきり話してくれることは、ほぼないからだ。

すべての教師が、そうというわけではないだろうが、英会話学校のインストラクターは、ある意味「接客商売」をやっているような面もあるのではと思う。

極端なことを言えば、英会話学校は学校ではなくサービス業のようなものだ。お客さんを喜ばせて帰らせればよい。だから、そこに通うだけでビジネスの実践で役に立つ英語が身に付くかと言えば、それはあまり期待しないほうがいい。

NHK『基礎英語』のような独自の教材で「読む・書く・話す・聞く・文法」をバランス良くきちんと教えてもらえるのであれば、スクールに通う意味はあるだろう。

だが一方で、英会話教室を訪れる生徒の中に、万遍なくきちっと外国語を勉強したい生徒が多くいるとは思えない。それは手軽さとは程遠く、辛抱と日々の努力とを伴うものだからだ。

「手っ取り早く、気楽に英語を使えるようになりたい」という虫のいい話で英会話学校の扉を叩いても、そんな安直な勉強の仕方で実戦に役立つ英語が身に付くわけはない、と肝に銘じるべきだ。

もっとも、バーで出会った相手を口説くために使う英語くらいは、英会話教室でも勉強できるだろう。だが自社の商品を販売するために海外に出かけ、相手と交渉するレベルの英語は学べない。日本の中学校と高校で行われる英語教育においても、とても叶わないだろう。そして日本人の英語レベルは、いつまで経っても低いままだ。

※本記事は、ロバート・ゲラー:著『ゲラーさん、ニッポンに物申す』(東京堂出版:刊)より一部を抜粋編集したものです。