新しい年がスタートして2週間、仕事が始まって1週間ぐらいが経ちましたが、皆さんお元気にしてますでしょうか。正月モードから、なかなか仕事モードに戻れなかった、風野又二朗です。
年始に世田谷公園が、野球のグラウンドを無料開放していたので、凧揚げをしてきました。おそらく、あそこにいたほとんどの人たちは、遊びにきていたと思うんですけど、風野は違いました。
だって、凧揚げってまさに“風をあつめる”事じゃないですか。自分で走って集めた風を利用して、天高く凧を舞い上がらせる訳ですから。『風をあつめて巻き起こす』の作家であり、今後世界中の風を集めて、何かを巻き起こしていく風野にとって、これぐらいは朝飯前じゃないといけない訳です。
まあ実際は、昼飯後だった訳なんですけど。
この昼飯後がいけませんでしたね。正直年末から、というよりクリスマスから、チキン、ケーキ、チキン、ケーキ、蕎麦、おせち、お雑煮、おせち、お雑煮、おせち、おせちに飽きてカレー。みたいな食生活でしたからね!
直前まで、もう腹パンパンで動けんわ!って横になりながら、箱根駅伝見てましたから。
その直後に凧揚げにきたもんでね。しんどかったっす!
準備運動なしのダッシュが、そろそろ危ない年齢になってきました。特に、凧揚げの走り方って独特で、後ろの上空を見上げながらのダッシュなんでね、首やっちゃいそうだったんですけども。
途中でこれは、野球の時、外野フライを追いかける時の走り方に似ているなって事に気がついちゃって、多分、イチローさんが凧揚げたらすごいんだろうな、マタジローも負けてられないなって思いながらやってました。
なんとか、風野又二朗、風を集めて凧を揚げる事に成功しまして、これが、今年の風始めと言いますかね、仕事始めという事になりました。改めまして、今年も宜しくお願いします。
さて、年末年始はいろんなスペシャルドラマも放送されていまして、面白かったですね。
年始の逃げ恥、教場2など話題作がたくさんありましたが、その中でも、年末に放送されていた『岸辺露伴は動かない』は傑作でした。
じ、実写化するのですか?た、楽しみすぎるぜ!!!と、もう年末の楽しみの一つだったんですけど、軽々と期待を超えてくださって、小林靖子さんの脚本と渡辺一貴さんの演出が本当に素晴らしかったんですけど。さらに出演していた俳優さんたちが良かったですよね。
高橋一生くん。すごいなあ。会いに行きたい。会って握手だけして無言で帰りたい。
それだけで、何を意味しているか悟られるような去り方をしたい。
今回、高橋一生くんは、声のアプローチを神経質で完璧主義そうな少し高い声に変えて向かっていて、岸辺露伴にぴったりでした。
とても難しい事を、難しいアプローチで向かい、簡単にやっているように見せる。あるいは、やってのける。
これは、あらゆる業界のプロフェッショナル達が求められる事ではあると思うんですけど、年末にすごいものを見ました。
“喋り方”というところだけピックアップして書きましたが、芝居で大切なのは喋っている時と同じくらい聞いている時なんですよね。受け方というか。特に、森山未来くんとのカフェのシーンは、2人の喋りと受けの応酬が本当にすごかったので、未見の方はぜひ見てみて欲しいです。
(え!?珍しいね、風野さんどうしたの?確かに少しは興味はあるけど、急に芝居論なんて語りだしちゃって、私たちには、あまり関係ないように思うんだけど……)
ふふふ。そうくるんじゃないかと思ってました。前回のコラムで、2020年12月に世界は『風の時代』に突入したと書きました。ここから大切になっていく事の一つに、“コミュニケーション”がありますよと。僕はこの芝居論の中に、これからの風の時代に必要になる“コミュニケーション”にとってヒントになるかもしれない事を書いていました。
(えー!?そうだったんですか!びっくり!続けてください!)
任せてください(ウインク)風野は昔から人が好きで、どうやったら人と楽しくコミュニケーションが取れるかばかり考えていました。喋る事が好きだったので、どんな風に面白い事が言えるかばかりを考えていたんです。
でも、ある日、喋りすぎていたのか、友達からうるさい!と言われてしまって、それはそれはショックでした。そんな時でした。あの人が現れたのは。
「えーっと。日本には八百万の神様がいるんだけど、自分、コミュニケーションの神様っす」
ギャル男みたいな見た目で、ガムを噛みながら腰パンしているいけすかないやつでした。
「お兄さん、あれだね。コミュニケーションって喋る事だと思っちゃってない?これ基本の“き”なんだけどさぁ、コミュニケーションって聞くことなんだわ。もう少しいうと、聞くだけでもないんだけど、聞くというより見ることなんだわなぁ。聞いて見る事ができて、初めて喋りがやってくるんだわ。あっ、俺これから日サロだから。じゃっ!」
そう言い残すとギャル男は、近くのソーレのあるビルに入って行きました。
はっ!!(起きる)ゆ、夢かぁ。あいつ、いけすかなかったけど、あいつの言ってる事、とりあえず実践してみようかな。そこから風野は、相手を見て、喋っている事を聞いてはこっそりメモを取り、その日の夜に反芻する日々を繰り返しました。
ここで、こういう相槌を打てばあの人の話はもっと盛り上がったのに!
ここに、この話を挟めば、あの人がもっと素敵に見えたはずだなあ。
あの人、全然喋らないのに、印象に残ってるなあ。
そんな修行のような日々を送る中で、ある日、ふと気がついた事がありました。
コミュニケーションとは、喋る事でも、聞く事でもなくて、あるいは見ているだけでもダメで、もしかしたらコミュニケーションの行き着く先とは
【自分にしかできないやり方で、まだ本人が自覚してないその人の魅力を見つけて、引き出す事】なのかなぁ。
「ピンポーン!」
その瞬間、閃光が走り光の中に包まれました。というより、薄紫色の光。こ、これは日サロマシーンの光!?その中から、例のギャル男が現れました。
「お兄さん。正解でぇす。人は1人で生きていけないからさぁ、周りの力が必要じゃん?でも、まずは、お兄さんが誰かの力にならなきゃ。そうやって、誰かが誰かの力になっていく事で、みんなが輝いていくからさ。あ!これ、この光、日サロマシーンじゃないからね。みんなの光だからさぁ」
そういうと、自称コミュニケーションの神様のギャル男は、光の中に消えていきました。
そんな難しい事できるか分からないけど、やってみようかな、そう心に決めました。
そんな気持ちで年末に見た『岸辺露伴は動かない』は、出ている役者さんがそれぞれ自分のやり方で、相手の良さを引き出して、みんなが輝いていたので、とても傑作だなと思いました。
とはいえ、コミュニケーションってそもそも100人いたら、100人のやり方があると思うし、他人は自分じゃないから悩むし、自分の事ですら自分で分からなくなって悩む時があるのに、難しいですよね。
コミュニケーションとはなんなのか?結論、風野は今も分からないです。
今回のコラムの締め方が分からなくなってしまいました。困ったので、不朽の名作『もののけ姫』から、アシタカのめちゃくちゃかっこいいセリフをお借りして、締めますね。
もののけ姫の育ての親、山犬のモロから「お前にサンが救えるか?」と言われた後の、あの名台詞です。お借りします。
アシタカさん。コミュニケーションってなんですか?
《わからぬ。だが、共に生きる事はできる》
ふ、深い。そして、かっこいい!アシタカさぁぁぁぁん!
それでは、又、風の吹く日に。