「デザイン」の仕事と「アート」が混同されている

なお、この2と3は、Dessin(デッサン)の概念にかなり近いものです。

絵画や彫刻などの「素描」や「習作」は、芸術作品におけるデザインの工程だといえるでしょう。

デザインが習作という計画工程までであるのに対し、芸術作品は分業ではなく、デッサンをした当人が、実際につくり上げるところまでおこないます。

テクニック(技術)も含めて芸術作品なのです。しかし、産業においては、デザイン工程と実際につくり上げる製造工程は別の役割です。

余談ですが、こうした役割の違いが明確でないため、デザインの仕事と、アートが混同されている部分が大きいように思います。

デザイナーにアートを求めてしまったり、デザイナーが自己表現に走ってしまったりする場面は、多くの方が目にしてきたかと思います。

こうしたデッサンの工程が不明瞭であり、軽視されたことは、産業革命後に起きたデザインの混乱の一因だったといえるでしょう。

産業革命以前の時代は、この過程を、熟練の職人たちが各々おこなってきました。ところが工業化により、解決するべき問題をきちんと検討せず、資本家が経済性だけを根拠にプロダクトを組み立てさせるようになってしまったわけです。

その結果、現場で作業をするエンジニアたちは何の根拠もないプロダクトを無理やり製造することになり、品質はやがて劣化していきました。

ユーザーも「安い」か「新しい」という選択肢で選ぶしかなくなってしまったのです。

20世紀末の日本でも、ユーザーにとっての必要性をほとんど問うことなく、ひたすら「高機能」「新しい造形」によって消費を煽ってきた側面がありました。

今世紀に入り、そうしたプロダクトはもう以前のようには売れなくなったことを実感されている方も多いと思います。

しかし、モノづくりの根本的な姿勢が変わらなければ、今後も同じことを繰り返すことになってしまうでしょう。

先ほどデザインのスタートが「必要性を見出すこと(=必ず解決しなくてはならない問題や課題を発見すること)」だと強調したのは、この失敗を繰り返さないためでもあります。

必要性はデザインの出発点なのです。

▲必要性のないプロダクトは生み出さない イメージ:kai / PIXTA