世の中に氾濫する膨大なデータという壁

たとえば「痛い」というインプットがあったとしましょう。生命に危機を感じるような痛みは、生命維持“脳力”で必ず意識にのぼって優先的に扱われます。

しかし、痛みそのものではなく「何をしたら痛いのか」という行為自体は文化的なデータですから、訓練がなければ意識することができません。

この訓練にあたるものの1つが「経験」です。たとえば、加熱したヤカンで火傷を負ったことのある人は、次からはヤカンに気をつけるようになるでしょう。

置いてあるものに足をぶつければ、次からは避けようとします。

子どもが転んだり喧嘩をしたりして、痛みと行為を紐付けて学習することで、さまざまな危険を察知することができるようになるのも同じ仕組みです。

このように一度経験してしまえば、フィルターによって無視されなくなり、意識できるようになります。

起こりうることを想像、予測し、危険回避などができるようになるのです。ここまでが受動的思考です。

▲経験をもとに「痛いこと」を避けるようになる イメージ:foly / PIXTA

これに、問題を解決し、危険が発生しない環境をつくろうという「理想化」が加わると、能動的思考になっていきます。

しかし、これには限界があります。わたしたちの生きる現在は、高度に複雑化されており、常に新しい事態に遭遇し、未知のデータがインプットされ続ける社会です。

原始的でシンプルな社会とは違い、インプットされるデータはあまりに膨大です。

一個人の経験と知識だけで「必要なデータ」と「不要なデータ」を判別することは、どんどん難しくなっているのが現実です。

結果として、処理の追いつかない脳は、ほとんどすべてのデータを無視するようになり、思考停止をまねきます。

こうした思考停止の状態では、受動的思考までが精一杯です。

「解釈」や「ひらめき」といった能動的思考に進むことは非常に困難になります。

結果として、無関心や無知を生み、興味関心の先にある、わたしたちの創造性を奪ってしまうといえるでしょう。

創造性を取り戻すためには、脳が「勝手に無視する」という状態を意識的に変える必要があります。

これには、脳のワーキングメモリ(作業記憶)の特性を理解することがカギとなります。

強い興味関心の持てるテーマを用意し、ワーキングメモリに刷り込むことで、無意識のフィルターをコントロールできるようになるからです。

▲脳のフィルターをコントロールする イメージ:adam121 / PIXTA