2020年という年を、アメリカ合衆国、しかもニューヨークで過ごした。一度はコロナ禍の一丁目一番地となっていた「世界の首都」で、自宅隔離状態の窓から見えた景色は、次々とつきつけられる矛盾に悲鳴を上げ続けるアメリカという国の姿だった。自らも新型コロナウイルスに感染、そして復帰した現地在住者によるレポート。

▲悲鳴を上げ続けるアメリカという国での生活

アメリカ格差の象徴「医療制度」の闇

私は2013年からニューヨークに移住し、デジタルの技術系クリエイターとして、アメリカと日本の双方でお仕事をさせていただいている。移住以来7年、最初は手探りでわからないことだらけだった海外の生活にも慣れ、アメリカという国の「クセ」のようなものもわかり、処世術も身についてきた。

2020年2月、私は出張で東京にいた。ニューヨークに家族を残して、2週間、東京で仕事をしていた。仕事の束の間、久しぶりに日本のサウナに行って“ととのって”いるとき、サウナ内のテレビではダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウイルスが流行していて、乗客が出てこれるとか出てこれないとか、そんなニュースがしきりに流れていた。

当時はまだ、話題の中心はこのダイヤモンド・プリンセス号で、アメリカ政府も日本政府の対応を批判していたりとか、そういう段階だった。今思えば、そんな時代もあったんだね、という話だ。

サウナ室でぼんやりと「あ、このウイルス、アメリカに上陸したら中国どころの騒ぎじゃないくらい大変なことになるだろうな」と思っていた。アメリカに住んで7年、この国がこんな厄介なウイルスに適切に対処できるような“ちゃん”とした国ではないことなんて、すっかり承知していた。

アメリカというのは「置き去りにする国」だ。意思決定のスピードも、変化のスピードもとても速い。いろんなものをどんどん前に進めて、ついて来れない人を待つことをしない。その推進力と雑さが、いろんなイノベーションを起こし、世界をリードしてきたとも言えるが、同時にさまざまな面で格差を生んでいく。

その格差社会を象徴する最たるものが医療制度だ。有名な話だが、アメリカには国民皆保険がない。病気にかかってまともな医療を受けるためには、高額の保険に加入していなければならない。

保険に入っていない病人に処方されるのは、治すための薬ではなく、一時しのぎのための安価な痛み止めだ。そして、その痛み止めを濫用する人が急増して、中毒による死者数が交通事故の死者数を上回って社会問題になる。

聞いたことがある読者もいるだろう。「オピオイド中毒」というのがそれだ。書くだけでもまるで『北斗の拳』の世界みたいな世も末感だ。この国は、格差やひずみを生むことをいとわずに、いろいろなものを置き去りにして、前に進んでいく。

そんな置き去り社会で、置き去りにされた一部の人たちの大きな支持を得たのが、前の大統領、ドナルド・トランプということでもあった。

トランプを支持したのは、この数十年の進歩のなかで起きざりにされた、地方に住む貧困層の白人たちだった。トランプは、今まで他の大統領が見向きもしなかった田舎町を丁寧に訪問して歓迎された、という一面もあったらしい。

しかし、そのトランプがとった政治は、置き去りにされてきた人を支援する代わりに、他の人たちを置き去りにするものだった。

移民やアフリカン・アメリカン、女性、LGBTといった、さまざまなマイノリティにとって、自分たちが住む国のリーダーが、自分たちを守ってくれるどころか、堂々と排斥しようとしてくるのだ。悪夢としか言いようがない。国のリーダーに「お前たちはいらねえ」と堂々と示されたときの悲しさ、これは体験しないとわからない。

日本の人々に、なぜアメリカであんなにもトランプが嫌われているのか理解できない人が多い理由はそこにもあるだろう。私も、私の家族も「移民」ということになる。2016年からこのかた、住む国のトップに「いらねえ」と思われながら、この国で暮らしてきた。その状況って、めちゃくちゃに心許ないし、自分の身は自分で守るしか無いようなディストピアなのだ。

そんな、置き去り主義をぶん回す国が、まともにこの厄介なウイルスに対応できるわけがないと思っていた。「これがアメリカに来たらひどいことになるぞ」。私は日本のサウナ室で、しかし「来ないといいけどなあ……」なんてぼんやり考えていた。

▲まさか数ヶ月後に街がこんなことになるとは…