大企業の取締役から東北大学大学院教授に転身、退官後は沖永良部島に移住し「厳しい環境制約のなかでの持続可能な暮らし」を研究・実践する石田秀輝先生は「今回のコロナ禍という制約が、日本に根づいていたさまざまな問題を炙り出したように感じます。会社と社員の関係、時間の価値、家族という概念、自然との関わりなどについて、私たちが立ち止まって考え、感じ、学ぶ機会となったと思うのです」と語ります。石田先生に未知の問題や、前例のない事態の解決に対処するための「バックキャスト思考」について解説してもらいました。

※本記事は、石田秀輝+古川柳蔵:著『「バックキャスト思考」で行こう! -持続可能なビジネスと暮らしを創る技術-』(ワニ・プラス:刊)より、一部を抜粋編集したものです。

コロナ禍がなくても地球は限界にきていた

現代に生きる私たちにとって、喫緊のコロナ問題を除いて、最も重要かつ大きな制約は地球環境問題です。

この地球環境問題と、さらに金融資本主義・グローバル資本主義の行き詰まり(および、それがもたらした貧富格差の拡大)という、二重苦を抱える現代社会の問題の根源が、人々の意識の基盤となっている人間観・自然観にあること、そしてこれらを大きく変えることなしに人類社会の存続を図るのは、極めて難しいことを忘れてはいけません。

実際、ローマ教皇・フランシスコをはじめ、意識の変革を求める声は世界中で上がり始めています。しかし、そうした言葉・思想による啓発が、たしかな実を結ぶまで待っている時間的余裕は、残念ながら人類には残されていません。

▲コロナ禍がなくても地球は限界にきていた イメージ:PIXTA

もう1つ重要な視点があります。「コロナ禍が起こらなかったら、日本経済は変わらず成長し、豊かな暮らしが維持されていたのかどうか」という視座です。

日本に限れば、1970年代初めまで約9%だった経済成長率は、1991年のバブル崩壊までに約4%台に減少し、それ以降2018年までは1%前後を低迷してきました。平成の30年間でGDPは1.35倍(米国約3倍、EU約2.5倍)しか伸びず、この30年間、のたうち回っていたのです。

この状態が続けば、経済にも生活にも将来が見えない閉塞感を生み出し、少子化・人口減少、そして結果としての高齢化社会を加速化させることになり、すでにその兆候が顕著に見え始めているのが今の時代なのです。

つまり、コロナ禍が起こらなくても、経済の行き詰まりと地球環境の劣化の二重苦で早晩限界を迎えることは必然でした。コロナ禍が、限界を迎えていたグローバル資本主義との決別の機会を与えてくれたといってもいいでしょう。

だから、今こそ「地球環境の劣化」と「グローバル資本主義の劣化」という2つの限界に共通した解を見つけ、世界のニューノーマル(新常識)としての「生命文明社会」を創成し、移行することが求められているのです。

さまざまな「ガマン」を強いられたコロナ禍

さて、そこで必要になってくるのが「バックキャスト思考」です。バックキャスト思考とは「制約(問題)を肯定して受け止め、その制約のなかで解を見つける」思考法、一方で、従来の「フォーキャスト思考」は「制約(問題)を認識し、これを排除(否定)する」思考法です。フォーキャスト思考は、現在の延長にある問題に対処するには便利な思考法ですが、未知の問題や、前例のない事態の解決には不向きです。

制約がなければ(あるいは容易に排除できるなら)、現状を足場にフォーキャスト思考で解を導くことに何も問題はありません。では、制約が排除できない場合はどうでしょう。排除できない制約下でのフォーキャスト思考は、多くの場合「ガマン」という概念に行き着きます。地球環境問題における「節水」「節電」「省エネ」が、その代表です。

今回のコロナ禍で「外出自粛」「外食自粛」「旅行自粛」など、さまざまな「ガマン」を私たちが強いられたことは記憶に新しいところです。

▲さまざまな「ガマン」を強いられたコロナ禍 イメージ:PIXTA

一例をあげると、私たちは徒歩よりも自転車、自転車よりもクルマで移動するほうが便利で、快適で、豊かだと考えがちです。しかし、ある報告によれば、10キロ移動するために消費されるエネルギー量は、徒歩は308キロカロリー、自転車だと118キロカロリーですが、ガソリン車は8670キロカロリーを使うことになります。

つまり、私たちが求める「快適性」や「利便性」は、地球に猛烈な負荷を与えており、その結果、新たな地球環境制約を生み出しているわけです。ちょっとした行動の積み重ねが幾何級数的な負荷を生み出す。これは自分の首を自分で絞めているようなものだといえるでしょう。

このように、地球環境制約とは人間活動の肥大化であり、今、求められているのは、その肥大化をいかに停止・縮小させるかです。これは「ガマン」というやり方では実現できません。ワクワクドキドキしながら達成しなくてはならないのです。ですから、制約を受け入れるだけでなく、同時に「制約のなかでも豊かである」という概念を理解する必要があります。