V.LEAGUEのV1チーム「VC長野トライデンツ」でプレーするプロバレーボールプレーヤー・戸嵜嵩大(とざき・たかひろ)。元来、暗い性格だったが先輩のアドバイスもあり、自ら「ポジティブ」でい続けることを意識しているという。
2020年の夏、VC長野トライデンツに移籍し、現在は長野県でひとり暮らしをする戸嵜。冬の寒さにはなかなか慣れないとしつつも、地元の観客の熱量には驚かされているという。コロナ禍のなかで戸嵜は、この1年をどう戦ってきたのだろうか。また、これから先をどう考えているのだろうか。ニュースクランチ編集部が話を聞いた。
「後輩たちのために」という意識も芽生えてきた
――長野県での暮らしはいかがですか?
戸嵜:とにかく寒いですよね(笑)。 節約しようと思って、最初は暖房をつけずに暮らしていたんですけど、夜中3時ぐらいに寒さで目が覚めたら、まつ毛が凍っていました。それくらい寒いです。
――環境の変化にコンディションを合わせることはできているのでしょうか。
戸嵜:こればかりは、なかなか慣れないですね。試合会場が大阪だったり、大分だったりというのもあって。気圧の変化でもボールの跳ね具合が違うので。そこはすごく難しいです。
VC長野トライデンツは、V1に属していてV.LEAGUEでは一番上のクラスではあるんですけど、クラブチームで実業団のチームほどお金がないというのが実状なんです。チーム専用の体育館もないので、村の体育館を毎回お借りしています。もちろん暖房とか冷房はついていないですし、マイナス3度という環境で練習することもあります。するとボールが重く感じるんですよね。そのあと試合に行くと、今度はボールが軽くなるので、サーブやレシーブの感覚をつかむのが難しくなります。
――長野に来て良かったところはありますか?
戸嵜:クラブチームということもあって、地元のお客さんの数が他のチームに比べて多いと思います。ホームでのゲームだと、すごく盛り上がりますね。
だから、僕としても「地域のために頑張ろう」とか「応援してくださるスポンサー企業さんのために」という気持ちが芽生えてきました。僕たちがバレーボールをできるのは、決して当たり前のことじゃないんだと、あらためて実感しています。
――チームのメンバーとの関係性はいかがでしょうか。
戸嵜:比較的若いチームなんです。僕はいま26歳で、社会人になって4年目になるんですけど、このチームでは上から3番目なんです。前にいたチームでは、僕は下から4番目だったんです。だからすごく責任感が増してきましたね。みなさん昼間は仕事をしているということもあって、コミュニケーションをとる時間があまりない、というもどかしさもありますね。
――この1年はコロナ禍もあって、気軽に「遊びに行こう」と言えないところもあるでしょうしね。
戸嵜:そうですね。やっぱり団体競技をするうえで、そこはビハインドに感じるところでもありますね。
前のチームでは先輩がたくさんいたので、とにかく思いっきりやってダメだったら先輩に任せるということができたんです。先輩に助けてもらっていた部分が大きかったんですね。今のチームでは、その役目を僕がやらなきゃいけないと思っています。後輩たちにどれだけ伸び伸びとプレーしてもらうか。
そのために見えないところで「つなぎ」の仕事をやらなければ、という意識が出てきました。精神的にも技術的にも考えさせられる1年になりましたね。
――前にいたチームでは、先輩に甘えられる部分があった。
戸嵜:甘えてばかりでした。先輩からは「お前は勢いが大事なんだから、打って打って打ちまくれ」と言ってもらっていたんです。「あとは全部俺らがカバーするから」って。僕はそこに甘えて、ただ思いっきりやっていました。調子が良ければそれでいいし、ダメだったら「ダメだったな」という感じだったんです。
でも、バレーが上手な人っていうのは、調子の波の上下が少ないんですよね。僕の調子が10の日もあれば、5の日もあったとすると、上手な人は8とか9の日をずっと継続できるんですよ。そういう選手がいないとチームが成り立たないんだと、今はよくわかります。だからそういう風にならなければと思っています。
――移籍によって、いい意味で成長できたというのでしょうか。
戸嵜:ベテランと若い人のどちらの気持ちもわかるようになってきた、という感じでしょうか。「ここは先陣を切って空気を変えなきゃいけない」と思うところがあったり「ここは後輩たちを伸び伸びやらせなきゃ」っていうところがあったりと、1点1点に対するプランが明確に見えるようになってきました。どんなゲームにも必ず「勝負どころ」があるので、そこを見極める、そこで点を取る、どうやって取るべきなのか、というのは考えるようになりました。
これもやっぱり、前のチームの先輩方から受けた影響が大きいと思いますね。高校のときなんかは反抗期がすごくて、すぐにキレていましたからね。大学に入ってからは「それじゃダメだ」と思うようにはなったんですけども。
――「反抗期」というのは家族にぶつかったっていうことですか。
戸嵜:とくに2歳下の弟には悪いことをしました。足にケガをして車いすになったとき、弟に押してもらっていたんですけど、ちょっとした段差で車いすがガタッとなると、その怒りをぶつけてしまって。本当にすごくつらいを思いをさせてしまったと思います。
それなのに僕が大学2年のとき、彼はアルバイトをして「お金が貯まったから」って、アルマーニの時計とブルガリの香水をプレゼントしてくれたんです。あれだけ強く当たったのに、こうやって思ってくれるんだと知ってからは、少しずつ他の人のことを考えられるようになった気がします。