教育によって生み出される経済格差は縮まらない
これを象徴しているのが、月刊誌『文藝春秋』の名物コーナー「同級生交歓」だ。
1956年から始まった企画で、毎回グラビアページを設けて、幼稚園・小・中・高の有名人となった同級生たちが顔をあわせて学生時代を回顧する。
たとえば、東京で「御三家」と呼ばれる名門校の1つ、私立麻布高校の回がある。
大学教授や国内最大の損害保険グループの社長、メガバンクの副頭取などが母校に集まり、握りこぶしをつくってポーズをとっている。ほんの一部の卒業生を取り上げただけで、これだけのそうそうたるメンバーが集まるのが驚きだが、格差がより広がった現代では、この傾向はより顕著になっているはずだ。
一方、労働者階級の中でも収入が乏しい層や、下流階級の人たちは違う。
彼らは家庭を持ったところで、日々の生活で精一杯で、お金をかけて子どもに習い事をさせたり、私立校へ進学させたりすることができない。地元の公立校へ通い、習いごとの代わりが、お金のかからない学校の部活動だ。
彼らがそこで知りあうのは、同じような階級の子どもたちだ。なかには「塾は行かせられない」「私立への進学はダメ」「学校へ行きたいなら自分で学費を稼いで」と言われて育ち、早い段階で大学進学をあきらめてしまう子も少なくない。
学歴がなければ、条件のいい職につくのは難しい。
大卒エリート社員に使われる立場で、最初から給与格差の現実に直面する。非正規雇用であれば福利厚生も乏しく、いつ失業するかもしれない不安のなかで生きていくことになる。
教育にお金をかけられなかった子どもたちが、大人になっても貧困に苦しんでいるデータもある。日本の生活保護世帯で育った子どもの4人に1人が、成人したあとも仕事につけずに生活保護を受けている。一度貧しい家庭で生まれたら、社会の構造的にそこから這い上がるのが非常に難しいことを示している。
※本記事は、石井光太:著『格差と分断の社会地図 16歳からの〈日本のリアル〉』(日本実業出版社:刊)より一部を抜粋編集したものです。