こんにちは、建築漫画家の芦藻彬と申します。
この世は無数の名建築であふれています。「ただ街を歩く」、これだけでもう立派な娯楽になってしまうくらいです。建築はさまざまな要求や制約が複雑に織り重なってできており、形や仕上げはその建築の成り立ちや用途、さらには街の歴史といった事柄を実に雄弁に語ります。
しかし、なかには一切の制約を受けずに建ったかのような、一目見ただけではそれが建築だと信じられないような、強烈な個性を放つ建築があります。純然たる芸術作品のような風貌に息を飲むとともに、数々の疑問が脳を駆け巡ります。
いったい誰が、どんな発想をすれば、こんな建築を建てられるのか?
そもそもどうやって、この奇跡のような形を実現することができたのか?
そして、この構造は? 材料は……?
こういった建築が放つ強烈な謎は、我々の興味を引きつけて離しません。ここでは、建築家が何かの境地に至ってしまったかのような「覚醒」したデザインの建築を取り上げ、その謎とデザインの妙を紐解いていきます。
建築は無からは生まれない(はずだった)
今回紹介するのは、オーストリアのウィーン・マウアー地区、ゲオルゲンベルクの丘の上に位置する「聖三位一体教会」です。百聞は一見にしかず、ということで、まずは街中から見える教会をご覧ください。
「奥に見えてるの、本当に建築・・・??」
巨大な石でできた古代の遺跡か、ブロックを積み上げた近未来的なオブジェか。建築というより構造体と言ったほうが、しっくりくるような気さえします。あらかじめ知っていなければ、これを見て「教会」だと思う人は、ほぼ皆無なのではないでしょうか。
まさに「覚醒」してますよね……。
こちらがファサードです。もう、一体どんな検討の仕方をしたら、この造形にたどりつけるのか、不思議で仕方ありません。
ブルータリズム※1なのか、それともここまでいけば脱構築主義※2か……〔※詳しくは最後の建築用語コラムを参照〕などと唸りつつ、入り口までのアプローチを歩いていました。このときの僕は、建築家がここまでラディカルな造形を組み上げるまでには、都市や歴史から何かしらのヒントを得ているのではないか、と考えていました。
そもそも建築家は、全く何もないところから形を生み出すわけではないのです。
例えば、幻となった新国立競技場の初期案を提案したザハ・ハディド女史は、洗練された流線型のデザインで有名です。いかにもアバンギャルドな造形ですが、あの形は本人の感覚的なスケッチだけから生まれているのではありません。
あの形にたどり着くまでには膨大な量のリサーチがあり、さまざまな都市条件、敷地形状などの情報を練り上げた末に、その場所でしか生まれ得ない形にたどり着くことができるのです。
(その証に、ザハの描くスケッチやパースには、ほぼ必ずと言っていいほど周辺の都市の区画や建物が、丹念に書き込まれています。)
建築設計をかじった僕は、ご多分に漏れずこの建築の形状にも、そのような「理由」があるのではないか、と考えていました。