こんにちは、建築漫画家の芦藻彬と申します。
この世は無数の名建築であふれています。「ただ街を歩く」、これだけでもう立派な娯楽になってしまうくらいです。建築はさまざまな要求や制約が複雑に織り重なってできており、形や仕上げはその建築の成り立ちや用途、さらには街の歴史といった事柄を実に雄弁に語ります。
なかには一見目立たず、それと知らなければ通り過ぎてしまうような慎ましさを持ちつつも、どこか普通と違う雰囲気をまとった建築があります。注意深く観察し、その空間で過ごすことで、濃い魅力が自分の中に入ってくる。
そういったものに出会えた、理解できた瞬間というのは、実に格別です。
ここでは、建築家が何かの境地に至ってしまったかのような「覚醒」したデザインの建築を取り上げ、その謎とデザインの妙を紐解いていきます。
建築見学は道中からすでに始まっている
突然ですが、こちらはスイスの高山鉄道。車窓からの景色がそれはもう素晴らしく、これだけでも記事を一本書けちゃうくらいの魅力を持っていますが……今回は建築の話を。
チューリッヒから列車に3時間ほど揺られ、Sumvitg Cumpadialsという駅まで向かいます。今回ご案内する建築は、スイスの山間の村にひっそりと佇む小さな礼拝堂「聖ベネディクト教会」です。
設計者のピーター・ズントー※1は、建築界のノーベル賞と呼ばれる「プリツカー賞」を受賞したスイスの高名な建築家です。今回紹介する聖ベネディクト教会は彼の出世作の一つで、1989年に建てられました。
ようやく無人の駅にたどり着くと、すでに標高約1,000m。列車は山と山の間を走っているので、ここからが大変です。礼拝堂にたどり着くまで、軽い(?)登山が始まります。
絶景かな!!!
なんてことを言っていられるのは最初だけ。砂利の悪路をスーツケース引いてひたすら登るのは、実際かなりこたえるものがあります。おまけにこの時は、漫画の機材(トレース台・画材etc.)も肩からかけていました。当然、駅に荷物を預けられるロッカーなんてものはなく……一歩一歩、着実に上へ進んで行くしかないのです……。
ひたすら登り続けること1時間。どうしてこんな場所に作ったんだ……とごちる私の前に、ふいに石積みの小さな遺跡が現れました。
その奥にはチラホラと家があり、RPGで見たことのあるような小さな村が。なんとなく緊張しながら家々の間を歩いていくと、あるじゃないですか!!
地元の秘境レストランが……。
登山の疲れもあって、今にも吸い込まれそうでしたが、泣きながら通り過ぎます。太陽は待ってくれません。日の光によって建築の見え方は大きく変わるのです。そのために苦労して登ってきたんですから(絶対帰り道でビール飲みにくるからな)。
数々の関門を超えようやくたどり着いた礼拝堂は、一見すると地味な、スイスの土着建築を思い起こさせる木造の建築でした。