『北斗の拳』における陰陽道と中国拳法の関係

陰陽説によれば、万物は陰と陽の二気からなり、両者は必要に応じて反発しあうこともあれば、融合することもあります。このような大前提があればこそ、北斗と南斗の対決を宿命とすることもできれば、北斗と南斗の融和が世界平和をもたらすことも可能となったのです。

北斗神拳が一子相伝あるのに対し、南斗聖拳は大きな流派だけで6つもあり、南斗六聖拳と称されますが、慈母星としての宿命を背負うユリアは、治癒能力しか持たないため、事実上は五聖拳です。

南斗()鷲(こしゅう)()拳のシン、南斗()鳥(すいちょう)()拳のレイ、南斗()鷺(はくろ)拳のシュウ、南斗()凰(ほうおう)()拳のサウザー、南斗()鶴(こうかく)()拳のユダの5人は、殉星・義星・仁星・将星・妖星と、それぞれ異なる宿命を背負わされており、これは五行思想の反映と見てよいでしょう。

南斗最後の将となったユリアを守る南斗()()星(ごしゃせい)()、すなわち海のリハク、風のヒューイ、炎のシュレン、雲のジューザ、山のフドウの5人についても同じことが言えます。

一子相伝の北斗神拳が陰で、オープンな南斗聖拳は陽。核戦争を生き延びた人類が、独裁者の支配下で苦渋の生活を()いられるのか、救世主により解放され、再び自由と平和を手にすることができるのか。

人類全体が重大な岐路に立たされていたわけですから、これを陰と陽の究極の対決として描くのは、無理のない発想にして展開であり、途中から読みだした読者にもありがたい工夫でした。

残る問題は、中国拳法との関係ですが、これには複数の仮説が立てられます。

1つは、中国拳法が大きく北拳と南拳に分けられることです。黄河流域で()布(るふ)()したのが北拳、長江流域で流布したのが南拳で、下半身の使い方に大きな違いがあったようですが、時代が下るとそのような顕著な違いはなくなり、清朝末期には()東(かんとん)()出身の()()鴻(こうひこう)()という武術家が「()()脚(むえいきゃく)()」という目にも止まらない足技で天下に名を()かせています。

この人物の名は、映画やテレビドラマなどの日本語版字幕では、広東語読みの「ウォン・フェイフォン」で統一されています。

第2の説は、中国拳法には人に見せるための表の拳法と、実戦用の裏の拳法の2つが存在することです。われわれが目にする大道芸人や京劇役者、アクション俳優、合法的な教室の主催者などは、すべて表の拳法使いで、裏の拳法使いは要人の警護や暗殺などを生業にしているため表に出ることはなく、その拳法が公開されることもありません。

『北斗の拳』は力こそ正義の世界ですが、重火器に頼る者は弾薬が尽きれば命運も尽き、刃物に頼る者も折られたらそれまで。最後に勝ち残れるのは、素手で戦える暗殺拳の使い手ばかりというのは、とても理に()った設定です。

▲河南省登封 世界遺産 少林寺 出典:PIXTA

南拳と北拳については、もう1つ面白い話があります。少林拳は中国河南省の()山(すうざん))少林寺を総本山としますが、この北派少林拳とは別に、南派少林拳なる流派が存在したという伝説です。

清朝の世、福建省の山中に本山を構えた同派は、反清秘密結社との結託を疑われ、官軍による焼き討ちを受けました。わずかに生き残った戦闘僧が山奥や市井に散らばり、組織の再編と拳法の伝承を重ねたというもので、早くからアウトロー色を帯びている点に『北斗の拳』と通じるところがあります。『北斗の拳』の続編『蒼天の拳』に登場する()()会(こうかかい)も、反清秘密結社の流れを汲む組織です。

『北斗の拳』が星と宿命、中国拳法の和合において、もっとも成功を収めた作品であることは疑いを得ません。ケンシロウの師リュウケンが、ラオウをあと一歩のところまで追いつめた北斗神拳の奥義「())()心(しちせいてんしん)()」は、もっとも象徴的な技だったのではないでしょうか。

リュウケンの拳は、すべて死角から繰り出されるため、ラオウは反撃するどころか、防ぐことすらできずにいました。頭上高く突き飛ばされて初めて、リュウケンが北斗七星の形を辿っていることに気づきますが、それがわかったところで対応策は思い浮かびません。高齢のリュウケンが心臓発作を起こさなければ、ラオウの野望はこの時点で()えたはずです。

北斗神拳究極の奥義は「()()()生(むそうてんせい)()」とされることが多いですが「無想転生」はケンシロウだけでなくラオウも修得していますので、私見では、リュウケンしか用いることのできなかった「七星点心」のほうが、究極と呼ぶに値するように思われます。