行ける高校がないほどの不良少年だった
中学にあがると、さらにイキがった俺はそこらへんの悪ガキがするような悪さは一通り通過してきたと思う。
万引きが見つかって親を呼ばれたときは、駆けつけた父親にその場でボコボコにされた。
父親に殴られたことは「いてーな! クソッ」くらいにしか思わなかったし、さほどこたえなかったが、帰りに母親が泣いていたのを見たときはドキッとした。
「今回の件は大河が悪い。でも、そうさせたのは私たち親かもしれない。私たち夫婦の仲が悪くて寂しい思いさせていたから、振り向いて欲しかったのかもしれない」
母親はそう言って泣き続けた。
俺は父親に殴られる恐怖より、母親を悲しませた罪悪感のほうが遥かに大きかったし、ショックだった。他人に迷惑をかける行為は一切しないと心に誓った。
小学生時代は鼻水垂らしてドッヂボールしてたような友人たちも、いっぱしのヤンキーになっていった。
俺もカッコつけたしイキがっていたが、別に番長でもなく、普通に学生生活をエンジョイしていた。元来の人見知りしない性格で、ヤンキーはもちろん、運動部の奴とも仲が良かったし、オタクみたいな内気な奴とも仲良くやっていた。
ちなみに、中学で番長格だった奴は、ずっと俺を応援してくれていて、今でもライブがあると仲間を集めて来てくれる。
中学に入っても学校の成績は最低だった。県内で偏差値が1番下の高校に行けるかも怪しかったが、山梨県の小淵沢というところにある私立になんとか受かった。親は、このままどこの高校にも行けないんじゃないかと心配していたので、私立に受かってホッとしていたようだった。
県立高校にも願書は出していたが、山梨の高校に行けば寮生活ができて親と離れられるので、そちらを選んだ。
地元の友達と離れる寂しさとか、知らない土地に行く不安とかより、親と離れられる喜びのほうが勝っていた。
寮生活が決まった俺は、入学手続きをしに母親と山梨へ向かった。その帰りに高校指定の制服屋に寄った。身長や寸法を測って制服を作るのだが、母親が「学寮に決めました」と言ったところ、制服屋のおじさんは「学寮は寮費が高いし、監視も行き届いてない。不良の溜まり場みたいになっているから止めたほうがいい」と教えてくれた。
さらに「躰道部(たいどうぶ)という武道の部活の先生の家に下宿させてもらえば、武道を学べるし寮費も安いし、しっかり監視してくれているので安心ですよ」と薦めてきた。
母親は「そうなんですか〜」くらいだったが、俺は親に迷惑かけてきた自負があったので、寮費が安くなるならそっちのほうがいいと言った。ちょっと武道を習えばいいんでしょ? くらいの軽い気持ちで入った躰道部。これがとんでもなく厳しい部活だったことを後に知ることになる。
(構成:キンマサタカ)