転校初日にケンカ

小学校2年に上がると同時に、神奈川県川崎市の一軒家に引っ越した。引っ越してからも世田谷の友達と電話で連絡をとっていたが、やはり現在進行形の友達と遊ぶのが楽しくて、気がついたら疎遠になっていた。

転校した初日、教室の前で先生から紹介されることになり、少しだけ緊張したことを覚えている。

「東京から引っ越してきた福谷大河です」

1番前に座っていた男子が「タイガーマスクだー!」と、うれしそうに言ったのをからかわれたと勘違いし、初日からその子とケンカしてしまった。相手が泣きながら職員室の先生に助けを求めにいった後ろ姿は覚えているが、そのあと先生に怒られたかどうかは記憶にない。

▲やさしく見えてヤンチャな一面も

新しくできた川崎市の家は、小田急線の新百合ヶ丘駅から出るバスで終点まで揺られ20分ほど。のどかな空気を持つ静かな住宅街だった。

新百合ヶ丘というと、今では駅前は栄えデパートや映画館もある都心のベッドタウンとして知られるが、当時の駅前はただの原っぱで建物も何一つなかった。文字通りの田舎だった。なんでこんなちっぽけな駅に小田急線の急行が止まるんだろう? と思うような駅舎で、近所でカブトムシもとれたし、タヌキを見かけることも日常茶飯事だった。

自宅の目の前には貯水池があり、庭側にはだだっ広い畑があったが、それ以外はとにかく何もないところだった。

家の間取りはというと、一階がリビング、客間、キッチン、風呂、トイレがあり、2階に親の寝室、子ども部屋がふたつ。2階にもトイレがあったことにびっくりした。

子どもが少しだけ遊べるくらいの庭がついていたので、自分の大事な物を庭の隅に埋めたりしたのが楽しかった。父親の自慢はガレージ。「どんなに大きい地震がきても潰れないガレージを作った」と話しているのを聞いたことがある。

月並みな話だが、自分だけの部屋が持てたのはメチャクチャうれしかった。今思えば、親が夢に描いたマイホームだったのだろう。何十年とローンを払うことになるのだろうが、親も俺も狭いマンションから庭付きの家に引っ越したことにとても興奮した。