家の壁を殴って穴を空けた夜
両親の不仲により家庭は荒れていたが、根が明るい性格の俺は学校では友達がたくさんいたし、誰とでも仲良くなることができた。
家に帰るのが苦痛だったぶん、友達と遊ぶ時間が楽しかった。夏には家の近所でカブトムシがとれたし、サワガニなどがいる川もあった。
家の前には大きな貯水池があり、そこの周りで野球やドッヂボールに明け暮れた。貯水池の壁によじのぼって鬼ごっこをしたこともあった。落ちたら確実に死ぬような高さだったから、今考えるとよく無事だったなぁと思う。子供心にもそのスリルがたまらなかったんだろう。
貯水池の近くには一箇所だけ開くマンホールがあり、そこから下水道の中に入って、懐中電灯を持って探検ごっこもした。この遊びだって急に大量の水が流れてきたり、暗い下水道は迷路のようになっていたから、電池が切れ、出口がわからなくなって迷子になったら死んでいただろう。子どもは本当に怖いもの知らずだ。
小学校低学年のときに、父親の父親、つまり俺にとってのおじいちゃんが亡くなった。悲しいという気持ちにはならなかったのは、まだ死というものがそんなに理解できていなかったからだろう。
葬式が始まると、お坊さんの読むお経がドリフターズのコントに聞こえてきた。「ポクポクポク」――間の抜けた木魚の音がなんだかおかしくて、笑ってはいけないと思うと尚更おもしろくなってしまい、我慢するのが大変だった。結局、妹と2人でケタケタ笑ったら父親にひどく怒られた。
小学校の頃から妹は優秀で、父親からは「妹は成績がいいのにお前はダメだ」と常に比べられた。俺だけが怒られ、そして殴られた。
小学校までは仲良しだったし、とても可愛がっていたのだが、中学に入るくらいから妹のことをいじめるようになってしまった。親が見ていないところで蹴飛ばしたこともある。
「俺が怒られるのはこいつのせいだ」と、間違った矛先が妹に向いてしまっていたんだ。この頃の自分を思い出すと情けないし、一生かけて妹には償っていきたいと思っている。今では元通り仲良しになったけど、あの時は本当にごめんなさい。
そして、口うるさい母親にもイライラするようになった。家の壁を殴って穴を空けたり「うるせークソババァ!!!」と暴言を吐くようになっていた。
親になってつくづくわかったが、母親は絶対に何があっても自分を見放さないということに、どこか気づいていたんだろう。甘えでしかないと思う。あんなに愛情を注いでくれた人は他にいない。今の俺がその場にいたら「誰のおかげでここまで育ったと思ってるんだ!」と、当時の自分を立ち上がれなくなるまでボコボコにしてやる。
そんなダメな俺に対しても、母の愛はやはり深かった。父親に報告すれば、父親は間違いなく俺をボコボコに殴る。だから母親は俺の悪行を父親に言わなかった。
カワイイ息子が殴られてるのを見ていた母親は、きっと胸を痛めていたんだろう。これ以上、父親に殴られたら可哀そうだと思ってくれたに違いない。