三沢の参加がきっかけで朝まで飲むようになった

小佐野 あんなに激しくリング上ではやりあっていても、プライベートでは一緒に飲んでいたんですよね。

天龍 プロレス好きの社長さんと円楽師匠(当時は三遊亭楽太郎)と俺が飲んでるときに「三沢を呼ぼうよ」って話になってね。そこから三沢がちょくちょく来るようになって、いつものメンバーに三沢が加わった感じだったよ。

小佐野 僕の印象だと、昔の三沢さんはぜんぜん飲めない人でした。この時に天龍さんたちに鍛えられたんでしょうか?

天龍 元から好きだったとは思うけどね。最初グッと飲んで、(深夜の)2時ぐらいに寝て、4時ぐらいに起きてきて「また飲みましょう」って……閉口しちゃったよ(笑)。それから俺たちも朝まで飲むようになったからね。

小佐野 飲んでるときの三沢さんは寡黙なんですか?

天龍 大人しい感じで黙って飲んでいたよ。まあ、俺たちがしゃべっているのをニタニタ聞いていたね。夜の8時から朝の5時までいつもいたよ。

小佐野 天龍さんが全日本プロレスを退団したあとも飲みにいったんですか?

天龍 1回だけだね。飲みながら「SWSに来たら? 倍のファイトマネー出すよ」って言ったら「いやいや僕はいいです」って。(そこから先は)以前のように楽しく飲んだよ。

▲クリスマスにもかかわらず会場には多くのファンが詰めかけた

小佐野 それから年月が経って、NOAHの社長になった三沢と1度だけ飲んだそうですね。話を戻すと、天龍さんは全日本プロレスを90年の4月に退団します。事前に三沢には何も言わなかったそうですが、(退団が)報道などで公になったときには言ったんですか?

天龍 何も言ってないよ。俺は会見でもちゃんと言ったけど「全日本プロレスに来ないか?」って声をかけたのは折原(昌夫)だけ。折原にとって自分の居場所がなかったときだったからね。それ以外は馬場さんに対して失礼だから、ひとことも誰にも言っていないよ。

小佐野 天龍さんが退団されたあとの(全日本プロレスの)最初の興行が、東京体育館(90年2月10日)でした。三沢さんがマスクを脱いだことについて、当時はどう思いましたか?

天龍 三沢にとってマスクを取ることに抵抗はなかったはずだよ。マスクというしがらみがあると、思い通りの試合ができないことをずっと悩んでいたと思うからね。

小佐野 ちなみに、馬場さんは三沢さんのことを可愛がっていたんですかね?

天龍 そりゃそうだよ。彼が膝をケガして休んでいるときに新車を買ったんだよ。そしたら馬場さんが「三沢は休んでいるのに車を買いやがって。周りにシメシがつかないじゃねないか」と俺に怒っていたよ(笑)。でもさ、休んでる間も生活に困らないように、ちゃんとファイトマネーを渡していたってことだからね。そこで新車を買うところにも、彼の物怖じしないところが出てるよね(笑)。

小佐野 物怖じしないといえば、新日本の東京ドーム大会(90年2月10日)に、普段は激しく戦っている天龍さんと三沢タイガーが、その日に限ってタッグを組んで、長州力&ジョージ高野と激突しました。あの舞台でのタイガーはどうでしたか?

天龍 あいつはね、そつなくなんでもできるから舞台映えするよね。あの頃はすでに吹っ切れているときだったしね。飄々とやっていたけど、彼は妙に信頼するに足る男ですよ。

▲信用していたからこそ実現した夢のタッグチーム