俺が耕した地面に三沢は綺麗な花を咲かせてくれた
小佐野 もうひとつ思い出しました。天龍さんが全日本を退団するにあたって、馬場さんと何度か話をするときに「三沢がいるから大丈夫」っておっしゃったんですよね。
天龍 そうだね。「大丈夫じゃないですか」って。俺は「ジャンボ(鶴田)が」とは言わなかったよ。三沢はちょうど伸びてきていたし、俺の穴は彼が埋めてくれると思ったよ。たぶんね、タイガーマスクになって自分を抑制していたことを、弾けてさ、すべてやりたいことをやるっていう気持ちに変わってよかったよね。
小佐野 そんな弾けた三沢さんが、マスクを脱いでわずか1か月(90年2月10日)でジャンボに勝ちましたが、天龍さんの心境はどうでしたか?
天龍 やっぱりさ、弾けなきゃいけないし、自分で掴み取ろうとしてね。「せっかくプロレスラーになったんだから」っていう意気込みを感じたよ。たぶん馬場さんも(三沢の)ネジを巻いたと思うけど、それを受けて結果を出したのが三沢光晴でしたね。
小佐野 そして超世代軍のとき、天龍さんは天龍さんでSWS、WARで非常に忙しかったわけですが、そのときは彼らの試合をチェックしていましたか?
天龍 しばらく見てなかったけど、久しぶりに「全日本プロレス中継」を見たときに、ジャーマンとかバックドロップを受けてる姿を見て「ヤバいな。こいつら、いつか大けがするよ」と勝手に彼らのことを危惧したのを覚えているよ。
小佐野 三沢、川田、小橋は若いころに天龍さんに触れていたから「あの当時の天龍さんに負けたくない」っていう気持ちはあったと思います。
天龍 口はばったいけどさ、(全日本という)地面に長州たちという違う種が入って、そこを俺が懸命に耕して、三沢たちが成長して綺麗な花を咲かせて、全日本プロレスという形にしてくれたのかな。退団したあとも、俺には「新日本プロレスにも負けない」っていう全日本プロレスのプライドがあったからね。三沢たちに感謝しているよ。昔は全日本プロレスはちょっとバカにされてたんだけど、三沢たち(の世代)になってから雑誌の扱いなんかもガラッと変わって、全日本プロレス出身として誇らしく思ったよ。
小佐野 その後、四天王プロレスを築いた三沢と戦ってみたかったですか?
天龍 それはなかったね。俺は全日本プロレスを卒業して、そのあとを三沢たちに任せたからね。彼らがしっかりやってくれてるから、俺の中でケジメがついたっていうのがあるよ。その後、NOAHに上がって、いきなり一騎打ちがあった(2005年11月5日)けど、「なんでいま俺とやりたいの?」って疑問符がついたよ。
小佐野 三沢さんとのシングルは、三沢タイガー時代の金沢と、その日本武道館の2回だけですが、後者はいろんな意味で重い試合でした。
天龍 パワーボムで持ち上げようとしたら、俺の万力で持ち上げようとしてもピクリとも上がらない。「この野郎!」って思ったら、俺が三沢の足を踏んでいたんだよ(笑)。
小佐野 そっちの重いですか(笑)。彼のエルボーは重かったですか?
天龍 あいつは非情だね(苦笑)。あれは効いたよ、本当に。器用でそつなくこなすイメージだけど、当時(三沢タイガー時代)はまだ爆発的な何かがなかったから「もう一皮剥けたら」と歯がゆかったよ。そこに彼はエルボーを身に付けたんだよね。
小佐野 この本は、たまたま13回忌にあたる年(2021年)に出たんですが、今でもときどき、三沢さんのことを思い出すことはありますか?
天龍 それはありますよ。漠然と「もし生きていたら何をしているのかな」って思うよ。今年が還暦らしいけどピンとこないよね……。
小佐野 ちなみにこの本は読んでくれましたか?
天龍 本が厚すぎて、自分のところだけ読んで寝ちゃったよ、俺の悪口を小佐野さんが書いていないかなって(笑)。でもさ、分厚い本ができたよね。いろんな人の話を聞いてこの厚さなんだろうけど、みんなが三沢のことをこうやって語って、彼も喜んでいると思うよ。
時折、天龍節を織り交ぜながら、多くのエピソードを語ってくれた天龍さん。リビング・レジェンドだけが知る三沢さんの素顔からも、“さりげなく命懸け”という生き様が伝わってた。そして、激しく燃え続ける龍魂からも目がまだまだ離せない。2022年2月12日の豊中・176BOX、2月23日の前田日明さんとのトークバトルなど、天龍プロジェクトの興行やイベントも見逃せない!