「国家」のための財政政策を考えていない財務省

財務というのは資産の部と負債の部があり、このふたつはバランスします。即ち、資産のほうを増やそうと思えば、負債のほうも同時に増えるのです。

政府や企業、家計といった組織内の問題になりますが、負債を増やして資産を増やしても、その資産が全然利益を生まなかったら、とんでもないことになります。こうなると、家計も企業も、借金を恐れて負債を増やそうとしません。

これを前提に国家の経済を考えていくと、単一のセクター、つまり政府や企業、家計での資産と負債のバランスを考えても仕方なく、国家全体として考える必要があります。ここで政府も緊縮財政をやるということであれば、資産は絶対に減ります。厳しいときに借金を増やして、資産を増やせるセクターは政府しかありません。

政府が堂々と負債を増やして、資産をきちんと増やすことは大事なのですが、その資産がいつも赤字を生むというか、収益を生まないと、いつか破綻します。だから、政府はワイズ・スペンディング、要するに賢い支出をしないといけません。

政府のやる投資、つまり資産を増やすのは借金が前提です。これは何十年もかけて次の世代に向けてのさまざまな教育、それからインフラの整備も該当します。それと技術開発、とくに基礎研究です。これらはすぐに収益につながるものではありません。こういうことこそ政府がやる必要があります。

しかし残念ながら、これらのことをどんどん切ってきたのが緊縮財政です。経済学的に考えても、非常に理屈に合わない話です。

▲厳しいときに借金を増やして、資産を増やせるのは政府だけ イメージ:CORA / PIXTA

なぜ日本政府も財務省も、こんな考え方をするのかというと、日本にはまとまった国家としての経済政策のあり方、国家全体を考えた場合にどうすべきかという、その考え方がないからです。財務省は自省にとっての財政政策を考えていて、国家のための財政政策を考えているわけではないのです。国益よりも省益を追求している。

財務省では増税して成功すれば、必ず後世まで褒め称えられます。さらに財政赤字を減らして均衡化させると、財務官僚としては大きな功績です。だから、どうしても財務官僚はそれらの追求に走ってしまう。

よく言われることですが、結局、官僚は出世が第一です。出世するためには、やはり自分のいる官庁での評価が高まらないといけません。そういうなかで「減税すべきだ」「歳出を増やすべきだ」と主張する官僚が財務省にいたら、まず出世できません。

増税すると経済が萎縮してしまう

現在の財務省は「国債は借金だ」ということについて、一般の人が「借金」という言葉に対して持つマインド、つまり「借金はよくない」という感覚をうまく利用しているとしか思えません。

デフレで民間需要が不足しているのに「借金はやめろ。貯蓄をしろ。無駄遣いするな」と。こんなことをやっていたら、経済は伸びない。デフレ不況が続くに決まっています。

資本主義経済というのは、先行投資、つまり将来に向けて投資することで活力が生まれるのですが、そのためには借金が不可欠であり、金融市場と金融機関が整備されているのです。

民間が動かない重要分野に、政府が民間であり余る資金を国債発行で吸い上げて投資するのは当然のことです。民間のみならず政府が借金に怯えていれば、国力が衰退する一方になります。

財務省とそれに追随する御用メディア、政治家は家計と国家を混同して、借金はダメだという論理を世論に刷り込み、経済を低迷させるのです。恐るべき経済への無知の仕業です。

▲増税すると経済が萎縮してしまう イメージ:Graphs / PIXTA

不況のとき税収は伸びません。減ります。減ったときは、政府が赤字国債を発行して、予算確保をせざるを得ません。これは景気が上向いてしまえば、一時的な話で終わるので問題ありません。ところが、不況が長引いて赤字国債の償還がなかなか進まないと、日本のように消費税を増税していくわけです。

国債償還のために増税すると何が起きるか? 経済が委縮します。それはなぜでしょう? 増税というのは、国民(企業を含むわけですが)から収入を政府が取り上げるということです。

収入を取り上げて、それを再投資するならいいのです。しかし、その多くを借金の返済、つまり国債償還に充てるとなると、国民の収入はどこかに飛んでしまっている、返ってこないわけです。そうなると需要が奪われるということになる。需要が少なくなるので、要するに経済が極端に悪くなります。

これは小学生にもわかる理屈です。でも、なぜか国債償還ばかりにこだわってるのが財務省です。非常におかしな話です。