不純な動機で磨いたものまね芸

「この世界で売れたい!」という思いはどんどん強くなっていった。「○○のオーディションに受かった!」という連絡があれば、仲間たちと一喜一憂した。だが、それを何度も何度も繰り返しているうちに、あっという間に季節は過ぎていった。次第に俺は「このままやっていて、どうやって売れるのだろう?」と考えるようになった。

ドラマのちょい役、バラエティー番組の1コーナーなど、仕事さえ選ばなければ、テレビにはちょこちょこと出ることができた。

自分で言うのも恥ずかしいが、確かに顔は良いほうだったと思う。だが、他の人より飛び抜けて良いわけでもない。芝居がとりわけうまいわけでもない。バラエティー番組に出るたび、自分がなんの武器も持っていないことに気づかされた。

そんなある日のこと。俺に運命の出会いが待っていた。テレビでショーパブという世界があることを知ったのだ。

2000年、当時はコージー冨田さんが大きな注目を集めていた。ある日、テレビの中で、タモリさんに扮するコージー冨田さんが、いろんな人のものまねをして笑いをとっているのが目に入った。どうやら飲食店のようで、ステージを見ているお客さんが笑ったり、拍手したりしている様子も流れていた。エンディングでは原口あきまささんも出てきて、2人の掛け合いに会場は沸きに沸いた。

ショーパブの存在を知った俺は、カラオケやキャバクラでものまねを披露し、友人たちを笑わせていたことを思い出した。ものまねなら自分もできる。それを武器にすれば、手っ取り早く売れる近道になるんじゃないか……。

ものまねがうまくなったのは、じつは邪な心からだった。硬派なイメージが強いかもしれないが、地元の友達は俺のことをナンパだと思っていたに違いない。海の家でバイトしていた頃から、女の子をナンパするのが得意だった。

▲イケイケだった20代

今もそうだが、昔から根拠がない自信だけはあったから、ナンパするときは「すいませ〜ん、ちょっといいですか?」と声はかけることはなかった。

「俺に声かけられて、君はラッキーだね!」

当時、そうやって自信満々で声をかければ、若い女子は結構な確率で食いついてくれた。声をかけて立ち止まらせるという第一ステージをクリアしたあとは、カラオケに行くことが多かった。

当時のレパートリーは、河村隆一さんやL'Arc〜en〜Cielのhydeさん、長渕剛さん、山下達郎さん。今思えば全然似てないのだが、「川崎のオモシロ兄ちゃん」がノリノリでやれば、酒も入っていたしハードルも下がったのでかなりウケた。ウケれば当然女の子も俺のことを気に入ってくれる。

女子とうまくいったことに味をしめて、さらに練習に勤しんだ。俺のものまねは下心が 磨いてくれたと言っても過言ではない。