見直される時期になったインターネット企業の特権

連邦議会議事堂が襲撃されたことは、多くの自由主義国に衝撃を与えました。アメリカでは今後、現在のプラットフォーム企業に与えられている特権の見直しを行う議論が、本格化していくと考えられます。

▲見直される時期になったインターネット企業の特権 イメージ:show999 / PIXTA

こうした議論は、アメリカやヨーロッパで進んでいます。アメリカ共和党からは、プラットフォーム企業も出版社のように編集権と責任を両方持たせることで、普通のメディアのようにしていくべきではないか、という意見が出されています。

ヨーロッパはまた別の議論を行っていて、これだけSNSが普及した現状では、ユーザーの書き込みを止めるのは難しいという前提に立っています。このため、民主的に選ばれた代表者によって審査をする仕組みや手続きを作り、監督しようという意見があります。

日本でいうと、放送に対して視聴者などからの問題の指摘に対応し、審査を行う第三者機関のBPO(放送倫理・番組向上機構)のようなもののSNS版を作ってはどうかということです。

2020年現在、世界でのSNS普及率は51%、ユーザー人口は39億6000万人です。ここまで広がってしまったSNSやプラットフォーム、無責任な空間というものに対して、どのように再度責任を求めていくのかという枠組みは、今、世界の国々で議論されているところなのです。

表現の自由とのバランスにおいて、こうした議論を規制と捉えるのか、もしくは責任と権利が一体化した形に戻ると捉えるのか、いろいろな考え方があります。ただひとつ確かなのは、対象となっているのが、世界的に広がった大きなビジネスだということです。GAFAと呼ばれるような、世界を席巻するほど大きくなったビジネスのあり方そのものを変えてしまうかも知れない、そんな議論が進んでいるのです。

インターネットの世界はリアルな状態に戻るのか

私自身は、匿名のような形でみんなが情報発信をして、ウソでもなんでも情報が流れるままにしておくよりは、情報を発信する人が権利と責任の両方を持つという当たり前のことを、もう一度取り戻していくほうが大事だと考えています。

インターネットの発展と普及の歴史を振り返り、これからも続いていく過程にあると考えると、最終的には権利と責任の一体化した状態に戻っていくと考えています。なぜなら、現実はもともとのリアルの世界に近づいていくものだからです。

リアルの世界からインターネットの世界に言論空間が移る過程で過渡的に広がったのが、ツイッターやフェイスブックなのであり、フェイクニュースが流れてもいいという捉え方は一時的な現象であって、誰もが当たり前にインターネットを介した生活が日常となれば、もともとのリアルの世界に近い権利構造に落ち着いていくのでしょう。

▲インターネットの世界はリアルな状態に戻るのか イメージ:bee / PIXTA

現在、日本ではインターネットを介したイジメや誹謗中傷が社会問題となっています。人の集まる商店の中で拡声器を使って陰口を叫んでいたら、お店の人に追い出されるのは当たり前です。こうした負の現象には、一定の社会的な罰則が必要な面もあります。

現在は、誰の名誉でも簡単に毀損できてしまう環境です。訴訟になっても、名誉毀損や誹謗中傷の被害に対する慰謝料の相場は、10万円から50万円と言われており、実際には訴訟を起こしづらいのです。

権利と責任の一体化によって、そうした金額の相場を引き上げることや、現代に合わせた罰則規定の整備も議論されていくことが、望ましいのではないでしょうか。