食事も銭湯も石ノ森&赤塚と一緒

▲1981年のトキワ荘の玄関 ©むかいさすけ

――今年の2月に発売された書籍『少女漫画家「家」の履歴書』(文藝春秋)では、トキワ荘の部屋割りや、当時の親交についても触れられています。また、トキワ荘の部屋には陽がよく入って、快適だったそうですね。

「ええ。明るくて気持ちがいいアパートでした。狭いですが、窓が大きくて、非常に開放的でして。私は3カ月くらい、1本の仕事をしたら帰る予定で入ったんですけれど、あまりにも楽しかったので、ずるずると居座りまして、10月までおりました(笑)。

編集さんも、みんなの面倒を一緒に見れるわけですから、大変助かるという利点もあったそうです。3人が、石森さんの部屋に詰めて、ずっと続けたので、絵にしても内容にしても、密度がものすごく濃くなりました。ひたすら原稿を描きました」

――画力にも影響が?

「影響は強烈でしたよ。私は、手塚先生の『漫画大學』だけを頼りに、完全に独学で描いてきましたから。使い方がわからない道具もいろいろあったんですけど、皆さんがどういうふうに描いてるかを見たら、あ、そうか、これはこういうふうに描くんだと。日々勉強しながら、一緒に仕事していました。

それこそ朝9時ぐらいから、夜中2時くらいまで描いていましたね。お昼は外食か、コッペパンと牛乳。外食の場合は『松葉』というラーメン店に行ったりね。おいしかったですよ。これもまた3人一緒です」

▲故・赤塚不二夫氏 ©文藝春秋

――本当に仲がいい3人だったのですね。

「そうですね。ぶらっと行ける距離に『エデン』という、フランス風のモダンでおしゃれな喫茶店もありました。白塗りの小さなお店ですけどね、店主の方がすごくセンスのある方だった。窓には白いレースのカーテン、テーブルは四角のと丸いのとがあったんですけど、これもまた椅子にしても、とっても素敵だったんですよ。しかも、クーラーがあるのがよかった。

仕事の打ち合わせをという名目で行くんですが、だいたいは、映画の話だ、音楽の話だ、雑談で終わっちゃって、仕事までいかないんですよ(笑)。気晴らしは、エデンにコーヒー飲みに行くぐらいのものでしたね。あとは、レコードを聴く、買いに行くくらい」

――10代の青春ですね。

「そうですねぇ。食べるのも、遊ぶのも3人一緒でしたね、ずーっと。もういや応なしに、3人で行動してましたから。銭湯に行くのも3人一緒(笑)。皆さん、優しかったですね。私は、男の子か、女の子かわからないような子だったんで。女の子扱いはしてもらえませんでしたけど」

――恋心は芽生えたりはしなかったのですか?

「恋心? いや(笑)。女の子扱いしてもらえないのだから全くない。みんな、いい友達ですよ。でも、それのほうが良かったと思います。そういうものが入ってくるとね、生臭くなっちゃうし、仲間割れしますよ(笑)。恋人は漫画だったんです。皆さんそうだったと思います。

入居してる人たちと、漫画を描く人たち、漫画マニアの人たちがもうひっきりなしに一日中出入りして、にぎやかでしたよ。トキワ荘に行けば誰かに会えるという。みんないい友だちでした。すごく楽しかったです」

»»» 明日公開の後編へ続く


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プロフィール
©文藝春秋
水野 英子(みずの・ひでこ)
1939 (昭和14)年、下関市生まれ。1955年、15 歳のとき「少女クラプ」誌上の一コマ漫画、目次カットでデビュー。トキワ荘出身唯一の女性漫画家として知られ、男性ばかりだった漫画業界に変革をもたらした。代表作は『白いトロイカ』『星のたてごと』『ファイヤー!」等。2010年日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞。