アメリカの科学誌には、貧困が脳に与える影響についての研究報告が掲載されたこともありますが、はたして日本の現状はどうでしょうか? 産経新聞特別記者の田村秀男氏は、日本人には「経済が成長しないと国力がなくなり、滅亡するのだ」という危機感が足りないと警鐘を鳴らします。「誰もが平等なスタートラインにつける共同体」の在り方を再確認する必要があるかもしれません。

※本記事は、田村秀男:著『「経済成長」とは何か -日本人の給料が25年上がらない理由-』(ワニ・プラス:刊)より、一部を抜粋編集したものです。

収入の増減で子どものIQが変動した

これは アメリカの友人から聞いた話ですが、アメリカ南部の農場、例えば大豆や綿花、砂糖など年に一回だけ収穫がある農場で、子どもたちのIQを調べたそうです。すると、収穫が終わって「さあ、新しい苗を植えました」、そのあとはIQが上がったといいます。ところが収穫する数ヶ月前になると、農家は収入が少なくお金がない。そうしたら、子どもたちのIQがものすごく下がっていたとのことです。

▲収入の増減で子どものIQが変動した イメージ:konstantinraketa / PIXTA

2013年8月発行の、アメリカの科学誌『サイエンス(Science)』に掲載された、貧困が脳に与える影響についての研究報告では、貧困は人の知力を鈍らせる影響があるといいます。貧困は人の心的資源を枯渇させ、問題の解決や衝動の抑制といったことに対する集中力を減少させるというのです。

招来への希望に満ちて、「さぁ、どんどん前に行こう」というメンタリティになると、脳が活性化するのです。逆に閉塞状態になってしまうと、抑うつ状態になってしまう。

個々の単位での考察は必要ですが、経済全体、つまりマクロ経済が整っていない、もしくはどんどん小さくなっている場合、恵まれない家庭はますます追いこまれます。そうなっていると、個人がどんなに努力をしても、ほとんど報われない。

重要なのは、全体の条件、つまり万人平等の条件をマクロが決めてしまうということです。マクロが整っていない状況では、ミクロの条件が不利な人は出発点から困難な状況に置かれてしまう。

「それでも這い上がろうと、一生懸命頑張るからいいじゃないか」という考え方もありますが、しかし、全体の統計を取ってみると、明らかに恵まれない層が追いこまれている傾向が出てきます。経済というのはそういうものです。

だから、私は「経済のパイが絶えず大きくなっていかないと、国家の未来がない」と言い続けているのです。経済を成長させないと国力は衰退します。このままでは日本は中国の属国、支配下に本当に飲み込まれる。

でも、残念ながら日本には、政治家にも経営者にも、そして国民にも「経済が成長しないと国力がなくなり、滅亡するのだ」という危機感がありません。「経済を成長させることが何よりも大事だ」という感覚は国家としての本能であり、政治家としての本能だと思うのです。その本能を取り戻さないといけません。

再分配をケチると国力の低下につながる

共産主義や社会主義が台頭してから、資本主義国としてはそれに対抗するために、富裕層などに累進的に課税して、社会保障や福祉などを通じて弱者に富をもたらす再分配が必要でした。

その考え方は第二次世界大戦後、1970年代までは世界の主流だったのですが、アメリカでは新自由主義イデオロギーが80年代から台頭しました。新自由主義は、政府が市場経済に介入せず、民間企業や投資家に自由に儲けさせるようにすれば、資本主義経済が活性化し、富裕層がお金を使うことで、所得が国民全体に“滴り落ちる”という「トリクルダウン」の考え方です。

日本では2001年発足の小泉純一郎政権が導入して以来、多かれ少なかれ政策に影響してきました。2021年10月発足の岸田文雄政権は「新資本主義」を掲げ、「分配と成長」の好循環 を目指すと謳っています。「トリクルダウン」重視のアベノミクスの軌道修正を狙っていますが、再分配すれば景気が良くなるとは限りません。

再分配を可能にするのも、やはり経済のパイが大きくなるということです。GDPというパイの大きさがよくて横ばい、だんだんと小さくなるという日本経済の場合、再分配するためには誰かの部分を小さく削って、別のグループに分けなければならない。

すると、削られるグループの反発は強く、政治的に見て再分配は難しい。パイが年々大きくなっている場合は、大きくなる部分を再分配すれば済むので、政治的軋轢は小さくて済むでしょう。

日本が繰り返しているデフレ経済下の消費税増税の場合、増収分は社会保障財源に回すので満遍なく再分配されるという建前ですが、経済学的には極めて不合理です。なぜなら、消費税増税はより低い所得階層に、より高い負担をもたらすからです。

さらに、増税による需要圧縮効果で総需要が委縮する結果、GDPが減り、税収全体が落ち込みます。すると再分配する財源がなくなります。

1997年の消費税増税がもたらした慢性デフレという災厄がそれで、中長期的に見てGDPは委縮して総税収は減り続け、財政収支は悪化し、社会保障財源どころでなくなった。そこで再び消費税増税というとんでもない失敗を繰り返しているのです。

経済のパイが大きくならないことを理由にして再分配をケチることは、貧困層を下支えする共同体としての国家の民力、いわゆる国力の低下につながっていきます。だから、経済はマクロとしての拡大がいかに大事かということなのです。 

▲再分配をケチると国力の低下につながる イメージ:Ushico / PIXTA