仲の悪さが功を奏した“あの番組”

「芸能界は偉人だらけだから、話を聞いてるだけで楽しいんですよね」と徳井は笑う。ただ、相方である吉村崇について書いた章には、明確に「殺意」という穏やかではない言葉を用いて、うまくいってなかった当時の平成ノブシコブシについても、愛憎入り交じった文章で記している。

「コンビを夫婦に例える人もいるけど、僕は同性の兄弟、が一番しっくりきますね。もっと言えば、コンビ組んで15年で、やっと「兄弟」になった感じ。この本にも書いたけど、長く連絡を取らなかった兄弟が、自分の両親の葬式で久々に会って、酒飲んで笑って、ってのが一番近い気がします。まあ仲が悪かったから(笑)」

 

相方である吉村崇について印象的だったのは、徳井がフジテレビで放送されていた『(株)世界衝撃映像社』の出演をきっかけにスタッフにも認知され、平成ノブシコブシとして『ピカルの定理』の出演につながった、という箇所だ。たしかに、部族ロケにおいて、見るだけで悲鳴をあげたくなるようなゲテモノを平気な顔で食べ、異国の地で部族の人々と楽しげに話す姿は衝撃であった。

「でも、あの番組に出てるときは、吉村に抱いた3度の殺意のうちの3度目と被ってるから、絶賛仲悪い時期ですよ(笑)。だからこそ、あのロケがうまくいったってのはあるかもしれない。吉村がやる、テレビに特化した振る舞いの逆をいってやろう、って気持ちが強かったから。吉村がゲテモノに大きなリアクションしたら、僕は特にリアクションせずに平然と食べちゃう、それだけだったんですよね」

吉村から“解散しよう”って言われたら、すぐ“うん”って答えたし、すぐに“やっぱりもう一度やり直そう”って言われても、“うん”って言ってたし、と語る徳井。言葉の端々に「諦念」や「流れのまま」という意識がにじみ出る彼が、人生の土壇場を感じた瞬間はいつだったのか。質問に対し深く考え込む徳井に「M-1の出場資格がなくなったとき?」「売れなくて金銭的な余裕がなかったとき?」と質問をぶつけてみたが、返ってきたのは意外な答えだった。

「土壇場……今パッと思い出したのは、なんかのライブで、バッファロー吾郎の竹若(元博)さんの大喜利の答えを見たとき、ですね。正直、東京の若手の中でも大喜利ができる芸人、ってことで呼んでもらってたんですけど、そこで出てた竹若さんが、8周目くらいの答えを尋常じゃないスピードでバンバン回答してて。ライブ中に“あ、僕もう大喜利辞めよう”って思っちゃいましたね」

「大喜利って国語だから、ある程度の定石があって、それをなぞれば80点の答えを出せると思ってて」と徳井は語る。

「自分では大喜利が得意だとは思ってないけど、理論はあるからやれますよ、みたいなスタンスでいたんですよね。ほかの方が出した発想が飛んだ答えも、教科書の中にはあるから“面白いな”と同時に“なるほど、そっちで来たか”って思える。でも竹若さんの答えは、野球でいうと打席でピッチャーの球が全然見えなかったんですよ。これまではどんなに速い球でもカットできてたけど、ボール自体が見えなかった。プロ野球選手だったら引退しますよね(笑)」

竹若の大喜利以外にも、土壇場を感じたネタがあるという。

「R-1ぐらんぷりでバカリズムさんが披露した『都道府県の持ち方』のネタですね。うわ、人の発想ってそこまでいけるんだ、って思って。新しい食材で新しい料理を作って、世界で一番うまいってあるんだ?って鳥肌が立ちましたね。ここまでいくと、面白さと同時に怖さもあるんだ、って(笑)」

お笑いを愛し、芸人を愛する徳井らしい答えだった。

≫≫≫ 明日公開の後編へ続く


プロフィール
 
徳井 健太(とくい・けんた)
1980年北海道出身。2000年、東京NSCの同期・吉村崇とお笑いコンビ「平成ノブシコブシ」を結成。テレビ番組『ピカルの定理』などを中心に活躍し、最近では芸人やお笑い番組を愛情たっぷりに「考察」することでも注目を集めている。趣味は麻雀、競艇など。「もっと世間で評価や称賛を受けるべき人や物」を紹介すべく、YouTubeチャンネル『徳井の考察』も開設している。Twitter:@nagomigozen