ノーギャラだってへっちゃら
ショーが始まった。客席フロアではいつもよりハキハキ、キビキビとお客さんから注文を取っていたが、いつでも動けるように全身の感覚が研ぎ澄まされている。
「まずはエルヴィス・プレスリー オンステージ!」というナレーションとともに曲が流れた瞬間、ステージに駆け上がりマイクを手にすると、お客さんはポカンとしていた。それはそうだろう。どんなエルヴィスのそっくりさんが出てくるのかと思ったら、さっきまで横で働いていた従業員がステージに立ったのだから。
俺が歌い始めると、驚きの表情はすぐに大爆笑に変わった。肝心のステージの評判もまずまずだった。そこから定期的に、出演者としてキサラの舞台にも立たせてもらうようになった。先輩芸人さんたちも口々に誉めてくれたのがうれしかった。
それ以降、ステージに立たせてもらえるようになっていく。ちなみに、俺がステージに上がる日は、出演しているあいだは稼働できる従業員が1人減ることになる。他のスタッフに負担をかけることが心苦しかったが、当時の社員やアルバイトたちは俺の夢を知っていてくれたから、「こっちは大丈夫だからステージに集中しなよ」と応援してくれた。
みんなの気持ちがうれしかった。ノーギャラだったけど、全然気にならなかった。芸能界で売れるための階段を、もう一つ登ったような気がした。
余談だが、当時のキサラに出演する芸人のなかには、俺のことを面白く思っていない人もいたと、あとから聞いた。
「素人が調子に乗って舞台に上がりやがって」
「従業員が出るようになったら、この店もおしまいだ」
ボロクソに言っていたらしい。その人の気持ちもわからなくはない。だが、多くの芸人の先輩たちは俺のことを歓迎してくれた。
まだまだ技術が足りないことは先輩たちもわかっていたのだろうが、それでもステージに立とうとした俺の勇気を誉めてくれた。「一緒に頑張ろうな!」と言ってくれてる芸人さんも多く、それが何よりもうれしかった。そうやって俺のことを心から応援してくれた先輩たちは、みんな先に売れていった。
一方で、陰口をたたいていたという芸人さんがその後、第一線で活躍しているという話はまったく聞かない。自分もそうならないよう、覚悟を決めた。
(構成:キンマサタカ)