部屋着のまま飛び出して出勤する母を説得した

▲若かりし日の母親とのエピソードに思わず笑ってしまう

専門学校2年生の10月、まさに就職活動を始めていた頃も、聞かせ屋としての活動に精を出していた。11~12月も頻繁に活動していて、そのかたわらで埼玉県草加市の公立の保育園を受けていた。しかし、不合格となってしまったらしい。そのときは、どんな思いだったのだろうか。

「じゃあ、聞かせ屋をやろうと。落ちたおかげで1年間猶予ができたので、逆にやった! と思いました。就職に向けて“聞かせ屋をやっている”ということで、この活動を続けられるなと思って」

意外なことに、将来に不安を感じるどころか、むしろ活動を続けられることを喜んでいた。しかし、年が明けてすぐ、草加市から電話がかかってきた。

「欠員が出たので、繰り上げで保育園に合格になりました、とのことでした。その電話が朝の9時にかかってきて、明日の19時までにどうするか決めてくださいと。マジで!? たった34時間で?って(笑)。映画みたいですよね。母に“さっきの電話なんだったの、こんな早い時間に”って聞かれて、草加市から採用の電話だったんだけど、保育職じゃないみたいって、はぐらかしました」

保育職の採用じゃないとウソをつくほど、聞かせ屋の活動を続けたい思いが強かったけいたろうさん。草加市への返答期限までの34時間で、たくさんの人に自分の思いや考えを話したという。夜中に友人に会ってもらったり、学校に行って先生や、先輩の保育士にも相談した。

「フリーター時代にお世話になった店長にも電話をかけました。“やりたいことがあるんだけど、保育園が合格になっちゃった”って。そしたら“やればいいじゃん、お前の人生なんだから。好きにすればいいじゃん、やりたいんでしょ?”って言われて、すごく涙が出ました」

「聞かせ屋。けいたろう」の活動のきっかけ、専門学校で絵本を読んでくれた先生にも電話をした。その先生からは“保育園の話は受けなさい”と言われた。信頼や安定が得られるし、あなたなら平日は保育士をしながら、土日に聞かせ屋の活動をすることもできるだろうと。たしかに、土日に聞かせ屋の活動をするという選択肢はなかったのだろうか?

「土日だけの地域の読み聞かせお兄さんじゃないなと思ったんです。聞かせ屋を仕事にしないとって。もちろん保育の道に進もうとも思っていたので、絶対にプラスになるから1年でもやりたかった。たくさんの人に相談したのも、自分のやりたい気持ちを認めてほしかったんです。たくさん反対されても、それでもやりたいっていう自分への確認。だって公立の保育園を断ったら、聞かせ屋で大成するしかない。だから、覚悟を決めたかったんだと思います」

翌朝、昨日の電話は保育士採用に合格した連絡だったんだけど……と打ち明けた。すると母親からは“いいから受けなさいよ、アンタいくつだと思ってんの”と言われてしまう。紆余曲折あって保育士の学校に入学したけいたろうさんは、24歳になっていたのだ。

「出勤しようとする母を、パジャマみたいな恰好のまま追いかけて、ずーっと説得し続けました。駅までの道、通勤電車の中で“前みたいに、歌手になりたいとかミュージシャンになりたいとか、夢みたいなこと言ってるんじゃなくて、保育士の仕事にもつながると思うから、聞かせ屋の活動をどこまでやれるかやってみたい”って。職場の最寄り駅まで来たところで、“もう同僚がいて恥ずかしいから、ついてこないで”と言われて(笑)。“じゃあ自分で決めていいんだね?”と言って、聞かせ屋の道を歩むことにしました」

専門学校を卒業し、仕事は「聞かせ屋。けいたろう」になった。しかし、当初は全く仕事が入って来ず、非常勤で保育士をしながらの活動。公立保育園の採用を断ったことへの後悔はなかったのだろうか。

「後悔だけは1回もしていないです。聞かせ屋の道を選んだからには、こっちが必ず正解になるように頑張る」

保育士の採用を受けることが正解だったかもしれない、と悩んだ時期もあったという。しかし、未練は残らなかった。

「進まなかった道を思い返して悩むことに頭を使うと、聞かせ屋がおろそかになるんですよ。せっかく聞かせ屋になったんだから、この道を正解にしなきゃいけないなって」

≫≫≫ 明日公開の後編へ続く


プロフィール
聞かせ屋。けいたろう
1982年東京都出身。全国各地での絵本の読み聞かせや、自らの絵本の出版など広く活動している。保育専門学校での恩師との経験から、2006年に夜の路上で絵本の読み聞かせを始める。代表作に『どうぶつしんちょうそくてい』『たっちだいすき』、翻訳絵本『まいごのたまご』『パパとタイガのとびっきりジャンプ!』など。Twitter:@kikaseya