大怪我をしているなかでの浦和レッズへの移籍

そして時は流れてプロ3年目、さまざまな変化や困難と向き合うシーズンだった。

背番号10を背負い、副キャプテンという肩書きを与えられ、世代別代表でもプレーする。良いことばかりではなく、8月には人生で初めての大怪我に見舞われ、長期離脱を余儀なくされた。

怪我を完治させることが先決だったのは言うまでもない。でも、同時にひとりのサッカー選手として新たな向上心が芽生え、さらにレベルアップしたいという欲求が大きくなっていく時期でもあった。

そのタイミングでオファーをくれたのが浦和レッズだ。

悲願のJリーグ初制覇を目指し、僕の力を必要としてくれたからこその、いわゆる“ラブコール”。大怪我をしていて、開幕までに実戦復帰できるかわからないにもかかわらず獲得に乗り出してくれたのは、クラブとしての本気度の表れだったように思う。

もちろん悩んだ。

このシーズンは、札幌がJ2降格という憂き目に遭ってしまい、怪我での離脱も含めてチームの力になれなかったことに申しわけなさを感じていた。それなのに自分だけJ1クラブヘ移籍すれば、ファンやサポーターから良くは思われないだろう。もっと砕けた表現をするならば、裏切り者と言われてもおかしくない。

▲大怪我をしているなかでの浦和レッズへの移籍 イメージ:Fast&Slow / PIXTA

でも最後は、ひとりのサッカー選手として、どう生きるべきかを考え抜いて選ばせてもらった。

立場や責任への迷いはあったけれど、自分以外の要素を一度取り払ってみた。すると視界が晴れていくのが自分でもよく分かった。

人生初の移籍は、とにかく高いレベルでサッカーをやりたい、高みを目指したいという一心で決断した。

不安や怖さはあまり感じていなかった気がする。ブラジル留学のおかげで住む場所や、生活環境が大きく変わる経験には抵抗がなかったし、ましてや、それが日本国内であればなんとかなるだろうという精神的な余裕もあった。

人見知りの性格が少しだけ気がかりだったけど、世代別代表で一緒にプレーしていた鈴木啓太や田中達也が所属していたのは心強くて、心配を最小限にとどめることができた。

個人的な感情を押し通させてもらったのだから、成長した姿をファンやサポーターに見せる責任がある。

プロ4年目、僕は覚悟を持って浦和レッズの赤いユニフォームに袖を通した。