「世界で一番有名な日本人女性は誰か?」と聞かれたら、少し前までは「オノヨーコ」と答える人が多かったと思うが、今は断然「大坂なおみ」なのではないだろうか。日本人初のグランドスラム優勝者であり、東京オリンピック聖火ランナーの勇姿の記憶も新しい……などという説明も野暮に思えるくらい、今や彼女は世界的に知られる存在となった。
筆者である私も、そんな彼女の活躍を頼もしく見守っている1人であるが、大坂なおみ選手の姿を見たり報道に触れたりするたびに、ほかの方々とは少し違った感慨も心に湧く。というのも、なおみさんの母である大坂環さんと私は高校の同級生だった。それほど親しい間柄だったわけではなかったけれど、私たちが通った高校の英語科は、2クラス合同の授業や行事が多かったこともあって、言葉を交わす機会は結構あったのだ。
高校卒業後の環さんの消息は知らないままだったが、友人から「外国の人と結婚した」ということだけは聞いていた。しばらくして「娘さんがテニスの才能があるらしくて、今、いろんな大会で勝ち上がっている」と聞いたのは、10年くらい前のことだっただろうか。それが大坂なおみ選手のことであると知ったのは、さらにしばらく経った、2018年全米オープンの前年のことだ。
全米優勝後のメディアのフィーバーぶりは相当なもので、テレビでは大坂選手が育ったバックグラウンドにもスポットが当てられるようになり、環さんと夫のマックスさんが2人の子どもを一流のテニス選手にするため、いかに苦労をしたかも報じられるようになった。私を含む同級生たちは、なおみさんの快挙に拍手を送りつつも、それと同じくらい環さんの献身に思いを馳せていた。
今年の4月に彼女が上梓した初の著書『トンネルの向こうへ 「あと一日だけがんばる」無謀な夢を追い続けた日々』(集英社刊)――そこで明かされたエピソードの数々に驚きを禁じ得なかった。単なる成功譚に終始しない赤裸々な心情の吐露に胸を打たれ、改めて彼女がとてつもない偉業をやり遂げたことを噛み締める。
そこで、環さんに成功を掴むまでの長い道のりや、今や世界中の人々が知る存在となった娘を持つ気持ち、現在の生活の暮らしぶりなどを率直に聞いてみることにした。とりとめのない会話の中にも、自分と家族を信じて全力でサポートし続けた、「無私の人」である彼女の素顔が見えると思う。
他の道を見る余裕もないし、そういう隙もなかった
――話をするのは高校卒業以来だね。なおみさんの活躍はもちろんなんだけど、私たち同級生は試合のTV中継にたまに映る環の姿を見て喜んでいるよ。
大坂 環(以下、大坂) 札幌を離れてから、高校の同級生とは誰とも連絡を取らない状態が続いていたから。だからすっかり浦島太郎状態(笑)。
――高校では普通に話はするけど、それほど深い間柄ではなかったじゃない? だから今回、環が書いた本は驚くことばかりだった。厳しいお父さんから自由を得るため、ずっともがいていたことも全然知らなかったし。
大坂 そうね。私は普通科から英語科に転科してきた(※)こともあって、喋る人がいなかったからね。
※環さんと筆者が通った高校は「普通科」「英語科」「音楽科」があり、普通科に入った生徒は2年時に他の科に移ることができた。
――そうだっけ? 溶け込んでいると思っていたけど。それに結婚したときに駆け落ちして札幌を離れたというのも、テレビを見て知ったの。すごいことをするな、と驚いたよ(笑)。でも、そのときは強い気持ちがあって、そういう選択をしたわけでしょ。
大坂 迷いはなかったね。最近わかったんだけど、私は負けん気が強いんだね、きっと。負けず嫌いのところがあって。特に誰かから「これ、できないでしょ?」って言われると、すごい腹が立っちゃうのね。特にそれが親……父が相手だと「絶対に、なにがなんでもやり遂げる!」って思うのね。死んでも頑張る。そういうところがある。
――(笑)。でも、その負けん気があったから、今、こうして成功することができたんじゃないかな。そう思うと、お父さんのおかげでもあるよね。
大坂 私は普通のオフィスで働いてたから、私の収入だけで家族をテニスの試合のために遠征させることはできなかった。父と和解して話をするようになってからは、ある程度サポートしてくれたし。それがなかったらここまで来られなかった。
――10年くらい前に、友達から「環の娘さんがテニスの才能があって、すごいらしい」って聞いて、そのときは「そうか、頑張ってるんだな」と思ったけど、何年も経ってからそれが「大坂なおみ」だと知ったときは、めちゃくちゃびっくりしたよ(笑)。そういうレベルの才能だったんだって。
大坂 当時は、いろいろプロモーションしてもらおうと思って、いろんな人にコンタクトして話をしていたの。
――最初は実りがなくてキツかったでしょうね。
大坂 でも、無視されたから余計に燃えたっていうのはあったね。
――なおみさん本人の才能はもちろんだと思うけど、それを信じて、環境を与えて伸ばした環はすごい。どうして心折れずに信じ続けることができたのかな。
大坂 うーん……信じ続けるしかなかったっていうか……(笑)。
――でも、途中でふと冷静になるときがあるじゃない? とてつもない夢を描いてるんじゃないだろうかとか。果たして、これがベストな方法なのだろうかって。
大坂 そうね。選択肢がたくさんあれば他も見てしまうのかもしれないけど、道が一つしかないから他の道を見る余裕もないし、そういう隙もなかった。とにかく他の選択肢というのはあり得なかったね。
――途中で挫折したらどうしようと考えていた?
大坂 万が一挫折したら、それはそのときじゃない?って(笑)。その先まで考える余裕がなかったっていうか。