漫画家の渡辺電機(株)が発売した『父娘ぐらし 55歳独身マンガ家が8歳の娘の父親になる話』。noteで大反響を呼んだ「55歳独身ギャグ漫画家 父子家庭はじめました」をまとめたこの本。55歳で独身のギャグ漫画家である渡辺電機(株)が、2人の娘をもつ女性との結婚で突然、父となり、思いもよらず小学生の娘との“ふたり暮らし”をすることになった驚きと苦労、そして喜びが、飾ることなく本音で綴られている。
今も絶賛土壇場中だという渡辺に、これまでの漫画家生活で体験した土壇場。そして、土壇場の状況で腹をくくったという、初めてコミックエッセイを執筆した経緯を聞いた。
“読者に嫌われてナンボ”で仕事がなくなった
まず最初に、「クランチ」には「土壇場」という意味があり、起業家・作家・アスリート・芸人……各界の第一線で活躍するアノ人は、自分自身の「土壇場」で、どう格闘し、現在の活躍につなげていったのか、という連載のコンセプトについて説明すると、渡辺はにこやかに言葉を選びながらこう答えた。
「実際、今も土壇場を抜け出している実感はないんですけどね(笑)。でも、『父娘ぐらし』を発表してから、今まで感想をもらったことがないような層の方から“面白かったです”っていただけるので、とても励みになるし、うれしいですね」
一見、華やかに見える漫画家という仕事だが、“明日、食べられなくなるかもしれない”という恐怖とは、常に隣り合わせにあるそう。
「いちばんツラかったのは、2007年くらいですかね。2000年ごろに集英社で連載をもたせてもらってて、それで5年ほど食えていたんです。やはり、集英社で仕事をしていると、ほかの仕事も回ってくるんですよね。ただその連載が終わって、漫画の仕事も回って来なくなり。当時、漫画を連載していた出版社が倒産して、お金がもらえなかったり……あのときは疲弊してましたね」
「今思えば、さっさと引っ越したり生活レベルを落とせばよかったんですが、貧すれば鈍するで、そこまで頭が回らないんですよね」と渡辺は自虐的に語る。
「“じゃあ食費を節約しよう”って、そのレベルの話じゃないんですけど(笑)。そうこうしていくうちにキャッシングに手を出したり。でも、今になって思えば、2000年ごろって調子に乗ってたんです(笑)。編集者の言うことを聞かなかったり、“俺の漫画は読者に嫌われてナンボだから”って嘯(うそぶ)いたり……。今読み返しても、その頃の自分の作品は嫌いじゃないんですけど。でも、しっかりしっぺ返しは食らってますね(笑)」
渡辺電機(株)の漫画家人生を振り返ると、1989年にデビューし、1991年には初の連載を開始している。こうして見ると順調な滑り出しのように思えるが……。
「いえいえ、デビューして3年くらいは編集さんに見せてはボツを食らう、その繰り返しだったんですけど、93年に単行本がちょっと売れて調子にのっちゃったんです。そのせいで96年くらいには何もなくなって、99年にまた集英社で連載始まったんですけど、さっき言ったような感じで……調子が良いとすぐに調子にのって、それで全部ダメにしてしまうことの繰り返しでしたね」
集英社の連載が終わり、気づけば世間は出版不況となっていた。以前のように、趣味と生業を両立して、“そこそこ楽しく生きていければいいや”という時代は終わっていて、渡辺自身もそんなことを言ってられる年齢でもなくなってきていた。
「そこで持ち込みを始めたんですよね。前と違って編集者さんの言うことを聞いてやっていたんですが、何もうまいこといかなくて。いつの間にか、好きなものを描いてそれを作品にする、というよりも、何とか食える額をもらうためにどうしたらいいか、そんなことばかり考えている自分に気づいて……、これは全然幸せじゃないなって思ったんです。
そのときも出版社からボツをもらって帰ってきて、喫茶店で編集者さんに見せるプロットを考えているときに、“バカバカしいな”って思って。“もうやめようかな。でも、どうせやめるなら、好きなものを描いてやめよう”って思ったんですよね」
こうして、自費出版で2018年に『ドグマ荘の11人』を出版する。
「まんが道のパロディなんですけど(笑)。エログロ、パロディ全部詰め込んで、自分の好きなように描いてみようって描いたのがこの作品です。正直、もっと批判されるの覚悟で描いたんですけど、かなり良い反応だったんです。ただ、お金にはならなかったんですが(笑)」