中国の台湾侵攻を皮切りに、東アジア圏の平和が脅かされる未来、台湾有事が現実味を帯びてきている。もはや中国を一国の力で止めることは限りなく不可能に近いが、かつての日本と中国の戦いは、どのようにして展開された戦争だったのだろうか。アメリカのインテリジェンス・ヒストリー(情報史学)に詳しい山内智恵子氏が、ユ教授の『龍の戦争』から、日中戦争の本質を見抜きます。

中国大陸でのインテリジェンスの戦いと軍事的支援

戦前・戦時中の中国大陸での戦争を描いた、軍事史及び現代中国の専門家であるマイルズ・マオチュン・ユの『龍の戦争』は、非常にユニークな本です。

第一に、中国大陸での戦争について扱っているのに、日本と中国との戦争については、ほとんど出てきません。出てくるのはせいぜい、盧溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけに日中戦争が始まったこと、日本のハワイ・マレー沖攻撃で日本の対英米戦争が始まったこと、1945年8月に日本が降伏したこと、あとは、一号作戦がほんの少し言及される程度です。

従って、第二に、日本のことがほとんど出てきません。日中戦争の各局面で、蔣介石が率いる中国国民党政権が、日本とどのように戦ったのかという話がすっぽり抜けているので、日本軍や日本政府の出番がないのです。日中戦争には当然、膨大な数の日本人が関わっていますが、この本に出てくる日本人の名前は、陸軍軍人の藤原岩市と共産主義者の野坂参三だけです。

▲野坂参三 出典:ウィキメディア・コモンズ(パブリック・ドメイン)

では、この本で描かれているのは何か。

蔣介石が率いる中国国民党政権と、彼らを支援するドイツ・ソ連・イギリス・フランス・アメリカの熾烈な駆け引きです。ユ教授は、戦前の中国大陸での戦争を、日本と中国との戦争ではなく、中国大陸の権益を巡るドイツ・ソ連・イギリス・フランス、そしてアメリカの争いだと見ているわけです。

よって、この本は、蔣介石が国民党の中で台頭していく1920年代後半から、アメリカが中国大陸から手を引く1947年までの、諸外国(独ソ英仏米)の対中支援と中国側の対応を通史として描きつつ、なぜ蔣介石が最終的に中国共産党に負けたのかを分析しています。

そして、ユ教授は特に、各国の政府・情報機関の思惑や、外国情報機関と蔣介石政権が行った情報作戦に着目しています。中国大陸での勝利を左右したのは、日本軍と中国軍の兵力差というよりも、諸外国の「武器を使わない」インテリジェンスの戦いと、それに伴う経済的・軍事的支援だと考えているのです。

▲『インテリジェンスで読む日中戦争』より

蒋介石を支援しきれなかったアメリカの失敗

1937年7月に始まった日中戦争で、蔣介石が率いる国民党政権は、軍事的にも近代的インフラでも、圧倒的に優位な日本と戦わざるを得ませんでした。中国国内に軍事産業がなかったので、抗日戦を続けるには外国からの軍事援助がどうしても必要でした。ユ教授によれば、日中戦争は日本と中国だけの地域戦争ではありません。

事実上、欧米列強のすべてが、なんらかの形で日中戦争と関わるようになり、中国の内部で軍事・情報作戦に手を染めていたのです。

『龍の戦争』に登場する各国政府・情報機関は実にしたたかです。ドイツは別として、ソ英米仏と蔣介石の国民党政府は、第二次世界大戦の連合国として味方同士ですが、各国には当然、それぞれの国益があります。同じ国でも、省庁や機関それぞれの利害があり、一枚岩ではありませんでした。

ユ教授は、蔣介石が各国の政府や情報機関に上手に対処できなかったことが、日本敗戦後の国共内戦で中国共産党に敗北した原因だったとしています。

▲蒋介石 出典:ウィキメディア・コモンズ

蔣介石がなぜ負けたかを分析することは、同時に、アメリカの対「蔣介石」支援が、どう失敗したのかを明らかにすることでもあります。

1920年代から第二次世界大戦が終わるまでのあいだに、中国を支援した独ソ英仏米5カ国の中で、蔣介石政権支援を国策としていたのは唯一アメリカだけでした。アメリカ政府は、対中ローン供与を始めた1938年末から、最終的に中国から手を引いた1947年までの足掛け9年ものあいだ、国民党の蔣介石を支援しました。

ところがアメリカは、中国大陸での権益を求めて日本と対立し、戦争で日本に勝つことはできたものの、中国大陸を手に入れたのは中国共産党だったのですから、結果的にはアメリカ外交の大黒星です。

この敗北を、アメリカ政治史では「中国の喪失」(loss of China)と呼びます。

ユ教授の本は、蔣介石の敗北を描きつつ、なぜアメリカが日本との戦争に勝ちながら、結果的に中国をソ連と中国共産党に取られたのか、その原因を分析しています。

『龍の戦争』から読み取れるアメリカの失敗の根本は、結果的に「蔣介石をろくに支援せず、中国共産党を太らせた」ことです。

▲揚子江に展開するアメリカ第7艦隊の軽巡洋艦ナッシュビル 出典:ウィキメディア・コモンズ(パブリックドメイン)

※本記事は、山内智恵子:著/江崎道朗:監修『インテリジェンスで読む日中戦争 - The Second Sino-Japanese War from the Perspective of Intelligence -』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。