京都大学理学部を卒業後、大学院へと進み博士課程を経て著述業に。専攻は動物行動学で、著書が出版賞を受賞し、ベストセラー作家となった竹内久美子氏。順風満帆な人生を歩んできた、と思われることが多いが、じつは挫折だらけだったと言います。竹内氏は、どんな小学生だったのでしょうか?
※本記事は、竹内久美子:著『66歳、動物行動学研究家。ようやく「自分」という動物のことがわかってきた。』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
石と卵では、どっちが大事?
私の経歴をご覧になった方なら、たぶんこんなふうに想像されるだろう。小学生の頃から常に抜群の成績。時にはクラス委員長にもなる、リーダー的存在だった。つまり学校生活で挫折を味わうことがなかった、と。ところが実際の私は真逆であり、挫折の連続だった。
小学校の入学前にちょっとしたテストがあった。今思うと、普通学校進学か養護学校進学か、その判別のためのテストだったのだろうが、そのテストのなかに、「石と卵では、どっちが大事?」という質問があった。
私は石が大好きで(子どもは大なり小なり好きだと思うが)、石の種類については知らないものの、さまざまなタイプのものがあることを知っており、拾った石を収集していたほどだった。そこで迷わず、「いし!」と答えてしまったわけである。
親に報告すると、にわかに表情が曇り、これは大変なことになるかもしれないという様子が見て取れた。実際、同じ幼稚園に通っていた近所の同年齢の女の子には、早々に小学校入学の通知が来たのに、私には来ず、随分時間が経ってから届いたのである。
私は小学校に期待した。幼稚園では、お絵かきとかお遊戯ばかりだったけれど、小学校ってどんな面白いことを教えてくれるんだろう、と。石のことだって、どんな種類があって、それらはどんなところでよく採れるとか、どうして石の種類は違うのか、ということを教えてもらえるかもしれない。早く教えてくれないかなあ、と思ったのである。
ところが授業ときたら、あれを覚えろ、これを覚えろばかり。理由は一切なく、暗記するだけなのだ。ついに堪忍袋の緒が切れたのは、書き順を覚えさせられた漢字が、テストの問題として出題されたときだった。「先生は生徒をバカにしている!」と思った。
よし、こんな退屈な授業や、バカバカしい勉強なんて放棄してやると、以後、授業をまったく聞かないことにした。先生の指示で他の生徒が何か作業をし始めるのに気づくと、「何するの?」と聞き、適当にこなしていた。
幸いというべきか、テストは〇×式とか、記号で選べという形式がほとんどで、常にヤマ勘を働かせた。それで成績はオール3か、調子が悪いと2がつくこともあった。当時アメリカの子ども向けテレビドラマが日本で放映され、流行っていたのだが、そのドラマをもじり、兄たちには「3ばっか大将」と揶揄された。
私には3人の兄がおり、一番上とは15歳違い、一番下とは9歳違いだ。私が物心ついたときには皆、子どもではなかった。親は歳をとっていたが、私は半ば若い大人に育てられたようなものだ。実際、一番下の兄が面白がっていろいろ教えてくれた。兄たちは全員、一貫して秀才で、私のように挫折することはなかった。
そのようなわけで、4年生のときの父兄面談で、親は先生にこう言われてしまった。
「お宅のお子さんは、せめて漢字の練習をしてください」
授業に興味をもつようになったキッカケ
転機が訪れたのは5年生のときだ。社会科の授業で、先生が「こういう事件があったので、次にこういうことが起きたのだよ」と言ったような気がした。
これこそが私が待ち望んでいた授業だった。漢字の書き方だって、この順で書くと、きれいに書けるとか、「右」と「左」で最初にはらいを書くか、横棒を書くかの違いがあるのには、こういう意味があるからだと解説してくれていたら、あんなに激怒することはなかったのに。
ちなみに右と左で書き順が違うのは、神に祈るときに右手と左手で持つものが違うからである。
右は、神に捧げる器(口)を右手で持つ様子を示していて、横棒が腕、はらいが手のひらを表している。そこで手のひらを示すはらいから書き始める。左は、神に捧げる道具(工)を左手で持っている様子を示していて、はらいが腕で、横棒が手のひらを表している。だから手のひらを示す、横棒から書き始めるのだ。
このような説明を、しかも図に書いてもらえたなら、「うわぁ、なんて面白いんだ!」と納得し、漢字にも書き順にも興味を持つことになっただろう。